戦車長の皆さん、
もうすぐクリスマスがやってきます。クリスマスといえば、「日常」の喧騒を忘れ、家族、友人、あるいは恋人とゆっくり過ごす1年の重要なイベントです。
第二次世界大戦中の1939年から1945年の間は、「日常」や「非日常」という言葉は、軍人にとっても民間人にとっても非常に曖昧な言葉でした。しかし、まさにこうした理由から、年末年始の祝日は大きな意味を持ちました。戦争という厳しい現実の中で、家族や、友人や、恋人とともに時を過ごすことができる僅かな機会だったためです。
この記事では第二次世界大戦中のクリスマスの様子を映した写真を紹介します。連合国の人々が祝日をどう過ごしたか、ぜひご覧ください。
Sergeant Hiram Prouty of US 175th infantry regiment, dressed as Santa Claus during the Christmas season.
男性の大半が徴兵されたため、サンタの恰好をしてプレゼントを配る人手が足らず、時には女性がデパートでサンタの恰好をすることもありました。
US 5th armored regiment tankers gathering around a fire and opening Christmas presents, near Eupen, Belgium.
1940年代にアメリカでリリースされ、大ヒットしたクリスマス・ソング『クリスマスをわが家で』と『ホワイト・クリスマス』は、戦争に苦しむ人々に対して希望を与えました。
Christmas during World War II in Italy.
Little toddlers may be sleeping in a bunker, but Santa Claus did not forget about them.
当時の人々は、クリスマスツリーに雪化粧を施するために、石鹸の粉と水を混ぜたものを利用していました。1940年代になるとバブルライトが発明され、今日まで人々に愛されています。
To show their gratitude to their liberators, these Belgian children are donating their own toys for British children who are short of playthings at Christmas.
1941年当時、75セントがあれば1.5メートルのクリスマスツリーを買うことができましたが、デコレーションの製造に必要なアルミなどの材料が不足していたため、人々はクリスマスツリーの飾りを自宅で手作りするようになりました。戦時中に出版されていた雑誌には、紙や糸、松ぼっくりやナッツなど、軍需産業での重要度の低い材料で作られた飾りが付録として付いていることもありました。
The last-minute rush for Christmas greeting cards in a department store in London, December 1941.
第二次世界大戦中は、人手不足のためクリスマスツリーにするための生木の伐採が追い付かず、さらに伐採したツリーを市場に運ぶための輸送手段も不足していたため、供給が大きく停滞しました。その結果、人工のクリスマスツリーを購入しようと、多くの人々がデパートに殺到しました。
Christmas dinner on board a British battleship on 29 December 1942. The ward room drinking the royal toast, seated in navy fashion.
1939年、BBCがクリスマスの特集番組の一環として、イギリス国王のスピーチを国民に放送しました。この番組はイギリスの伝統となり、今日まで続いています。
Christmas during the Battle of the Bulge.
American soldiers donate their sweet and chocolate rations to British children at Christmas.
戦時中はタイヤやガソリンの配給量が限られていたため、人々はほとんど旅行することができませんでした。少しでもクリスマスを華やかに祝うため、多くの家庭では普段の食事を減らし、配給切符を貯めていました。また、軍人の多くが国外に派遣されていたイギリスでは、現地に駐在する米軍兵士を自宅に招いてクリスマスを祝うように要請されました。米軍兵士は貴重な食糧の配給切符を招待された家庭で振る舞うことが多かったため、大変な人気を博しました。
それでは皆さま、一足早くメリークリスマス!