本車輌は、部分的に溶接式の装甲を採用した最初のイタリア車輌で、1942年4月にイタリア軍司令部が起案した強襲用駆逐戦車の開発計画にその端を発する。当初は重戦車《Carro Armato P 40》の車台に105 mm榴弾砲を搭載することが予定されていたものの、計画が遅々として進展しなかったため、すでに大量生産されていた《Carro Armato M 15/42》の車台に改良を加えて、23口径長の105 mm榴弾砲を採用する方向へと方針が転換された。1943年1月になるとようやく最初の試作車輌が完成し、続くシリーズに属するモデルのうち、車体と戦闘室の設計を新たにして25口径長の主砲を搭載したのが《Semovente da 105/25 M43》である。イタリアが降伏する1943年9月8日までに相当数が製造され、数多くの部隊で運用されたものの、そのすべてがドイツ軍に接収されている。本車輌の生産はその後もドイツ軍によって継続され、1943年から1944年の間にさらに121輌が製造されている。
車長
砲手
装填手
無線手
こちらのパラメーターは全搭乗員の職能レベルが100%の場合の値です。