【歴史特集】「D-デイ」の歴史に名を刻んだ戦闘工兵車輌《ホバーツ・ファニーズ》

戦車長の諸君!

軍需産業は、時に新たな技術革新を生み、テクノロジーの進歩を加速させる要因のひとつとなる。

その代表例として語り継がれているのが、イギリスのパーシー・ホバート少佐の下で製造された特殊車輌の数々だ。その奇想天外な外観や拡張機能から、《ホバーツ・ファニーズ》、日本語にするならば「ホバートの愉快な仲間たち」と呼ばれたこれらの車輌は、「ノルマンディー上陸作戦」の成功に大きく貢献したことでも知られている。

聞き馴染みのない車輌たちかもしれないが、これらの車輌は戦闘工兵車輌の原型として、現代にも大きな影響を及ぼしている本記事では、そんな《ホバーツ・ファニーズ》の開発に至るまでの経緯やノルマンディーでの活躍についてまとめている。ぜひ最後までお読みいただきたい。

第二次大戦の流れを変えた《勇気》と《欺瞞》

ドイツ軍部隊 | アメリカ軍第101空挺師団 | イギリス軍第6空挺師団 | アメリカ軍第82空挺師団

1944年6月6日、連合国は後に史上最大の上陸作戦として知られることになる「オーヴァーロード作戦」をフランスのノルマンディーにて決行した。当日の悪天候や敵防衛部隊からの激しい抵抗に屈せず、勇敢に戦いぬいた連合国は、上陸地点として選んだ5つの浜辺すべての制圧に成功している。この上陸作戦によって、連合国はフランスにヨーロッパ奪回の足場を築くことに成功。その後の11か月にわたる激しい戦いの末、ドイツを無条件降伏に追い込み、第二次世界大戦に終止符を打ったのである。

上陸作戦の計画が開始された1942年当時から、「オーヴァーロード作戦」に関する情報は当然トップシークレットとして扱われていた。またドイツ軍も、連合国による侵攻が起こることは予想しており、海岸線に沿って要塞を築くなど、相応の対策を講じている。そんな中、ドイツ軍を欺くために連合国は、膨張式の戦車などで構成された「ゴースト・アーミー」と呼ばれる偽物の部隊をイギリスの南岸に配備して、上陸地点があたかもカレー(ノルマンディーからおよそ200マイル北東の場所)かのように見せかける欺瞞作戦を行っていた。この作戦は「フォーティテュード作戦」と呼ばれ、前述した膨張式の戦車のほかにも、上陸用舟艇、そして偽の建物など、用意された偽物は多岐に渡り、その規模も大きなものとなった。

そして「D-デイ」に先んじて行われたこの欺瞞作戦では、当時部隊の指揮から外されていたジョージ・S・パットン陸軍大将が重要な役割を果たすこととなる。当時、かの有名な「兵士殴打事件」で一時的に指揮官の任を外されていたパットン大将は、わざと敵に偵察されるように偽の戦車などが設置された場所を頻繁に訪れ、「ゴースト・アーミー」の指揮官であるかのような行動をとったのであった。この情報を得たドイツ軍の諜報員は「北アフリカで戦功をあげたパットンが、兵士を殴った程度で指揮から外されるはずがない。それどころか、侵攻の要となる作戦の指揮に関わるはずだ」と考え、連合国による上陸作戦がカレーで行われることはほぼ間違いないと考えるようになっていた。

欺瞞作戦はこれ以外にも数多く行われ、そのそれぞれが最終的に「オーヴァーロード作戦」を成功に導く要因となったのである。

笑いごとではない《ファニーズ》

実は、連合国がドイツに占領されたフランス北部への上陸作戦を試みたのは、ノルマンディーが初めてではない。1942年の8月に行われた「ディエップの戦い」(別名「ジュビリー作戦」)でも、連合国はフランスの上陸を試みている。一時は港を占領するに至ったものの、最終的に撤退を余儀なくされ、占領できたのは約6時間。多くの犠牲者を出すことになった。この戦いが行われたのは、後の「D-デイ」での上陸地点から東に位置する場所だった。作戦失敗の代償は大きかったものの、この戦いで連合国の指揮官たちは重要な学びを得ている。まず、侵攻に使用する戦車には改修が必要であるということだ。「ディエップの戦い」に投入した車輌はほとんど大破するか、鹵獲されてしまっている。

ここで登場するのが、第二次世界大戦中にイギリスの第79機甲師団を率いたパーシー・ホバート少将である。ホバート少将を筆頭に編成されたチームは、沿岸部での戦闘に適応すべく、連合国の車輌にさまざまな改修を施していった。これらの特殊車輌は、その奇抜な外見から、味方によって《ファニーズ》とあだ名されている。たとえば「Churchill」には、迫撃砲が取り付けられたり、傾斜台や橋の役割を果たすために巨大な金属版が取り付けられたりしている。その他にも、地雷の除去と有刺鉄線の破壊を目的として回転するフレイル(穀物の脱穀作業に使用する穀竿)が取り付けられた「Sherman」なども登場した。こうした工夫に富んだ特殊車輌の活躍は、ノルマンディーの海岸でドイツ軍の防衛線を突破に貢献したほか、その後の内地での戦闘においても大きな役割を果たしたと言えるだろう。

一風変わった戦闘工兵車輌たち

車輌の開発経緯に触れたところで、実際に製造された戦闘工兵車輌の代表例を見ていこう。それまでの常識を覆すような突飛な発想や外観は今見ても非常に興味深い。なお、今回の特集記事の中で閲覧できる写真は、イギリスにあるボービントン戦車博物館の全面協力のもと、アーカイブ写真が使用されている。《ホバーツ・ファニーズ》が実戦投入された際の貴重な写真の数々も合わせてご覧いただきたい。

Churchill Crocodile

【炎を吐く悪夢】「Churchill Mark IV」の一番有名な改修車輌といえば、この火炎放射器を搭載した「Crocodile」だろう。牽引している装甲付きトレーラーには燃料が入っており、搭載した火炎放射器の射程距離は80 m以上にも及んだ。特に掩蔽壕や塹壕などの要塞に対して抜群の効果を発揮している。

【心理的兵器】「Churchill Crocodile」は、掩蔽壕に隠れていたドイツ兵に対して使用されることが多く、敵兵への大きな心理的脅威となっていたことが分かっている。多くの証言によると、火炎放射器を使用した「Churchill」がゆっくりと近付いてくるのを見たドイツ兵はすぐに降伏したという。時には、彼らに燃料だけをかけて、降伏するよう促すこともあったそうだ。

バトルパスXIV〈D-デイ〉」では、この「Churchill Crocodile」を含む3輌のTier VIプレミアム車輌を、ノルマンディーをテーマとした3Dスタイルとともに入手することができるぞ!

AVRE

【恐怖の迫撃砲】《Assault Vehicle Royal Engineers》または《AVRE》(王立工兵戦闘工兵車輌)のひとつには、「Churchill」の主砲を230 mm迫撃砲に換装した車輌が存在する。この迫撃砲は、重さ18 kgの榴弾を発射でき、その射程は100 m以上にも及んだ。ただし搭乗員は、榴弾の装填の度に車外へ出て、外側から砲身内に直接砲弾を挿入する必要があり、まだ荒削りな設計が残っている。この工兵車輌は《空飛ぶゴミ箱》という変わったあだ名が付けられたが、その破壊能力は決して侮ることができず、コンクリート製の掩蔽壕や障害物を破壊して、連合国の進撃を大きく助けている。

【改修型へのさらなる改修】特殊な装備や拡張機能が取り付けられた《AVRE》の中には、追加の改修が施されたものも複数存在する。以下で紹介している《Churchill AVRE Bobbin》などもその1輌だ。

《Bobbin Carpet Layer》

【施設作業車輌】この「Churchill AVRE」には、耐久性の高いキャンバス生地を軟地盤や起伏のある地面に敷くための改修が施されている。これにより、不整地での走行が困難な装甲車輌の移動に一役買っている。

【キャンバスの道】幅3 mの強化キャンバス生地が巻かれたポールを搭載しており、1輌で100 m以上の仮設道路を敷くことができた。

橋梁架設車輌

【Churchill ARK】《Armoured Ramp Carrier》または《ARK》と呼ばれるこの「Churchill」の改修車輌は、砲塔を持たず、伸縮可能な傾斜台が車体の前後に取り付けられている。これにより移動式の橋の役割を果たしており、他の車輌が障害物を乗り越える際に役立った。

【粗朶の活用】粗朶(そだ)とは、木材をひとつにまとめたものを指し、塹壕や溝を埋めて歩兵部隊や車輌が移動できるようにするために使われた。塹壕戦が繰り広げられた第一次世界大戦で初めて使用されたが、約30年後の「ノルマンディー上陸作戦」でも再び使われることとなった。

【架橋車輌】《Small Box Girders》または《SBG》は、全長9 mの橋を架けることができる装置である。車輌に搭載することで、塹壕や溝、川を渡る際に役立ったほか、高低差が4.5 mまでであれば、傾斜台としても機能した。しばしば前述の粗朶と一緒に運用され、わずか30秒以内に橋を架けることができる優れものだった。

《Double Onion》

【爆破車輌】この「Churchill AVRE」は前方に、金属のフレームを搭載しており、その先端に爆破装置が2つ(時にはそれ以上)取り付けられている。破壊目標まで近づき、フレームを接着させてから、搭乗員が安全な距離から爆破させるという仕組みだ。

【コンクリート・クラッシャー】これによりコンクリート製の敷地や浜辺の障害物、防潮壁を破壊できると見込まれた。しかし、戦場で運用するとなると、流れ弾が爆薬に当たる可能性があり、搭乗員の安全性に問題があったためか、「D-デイ」において「Double Onion」が投入されたかどうかは定かではない。

《Crab》

【地雷除去】地雷除去用のフレイルを取り付けた「Sherman」は、「Crab」と呼ばれている。フレイル部分には重い鎖が取り付けられ、それを回転させて地面の地雷を爆発させて撤去していた。

【高い汎用性】戦闘工兵車輌として使われていた「Sherman」にも75 mm砲が搭載されていた。そのため、フレイル使用時には主砲は反対側に向けておく必要があったものの、状況に応じて歩兵部隊への砲撃による支援を行うことでき、原型車輌譲りのの汎用性の高さを見せた。

【マイン・プラウ式】他にも、地面を掘削することで地雷を掻きだしていくプラウ式の地雷処理システムを搭載した工兵車輌も存在する。

「Sherman Crab」は、PvEストーリーモード「オーヴァーロード作戦」の中で、AI車輌として登場するぞ!

《Swimming Sherman》をはじめとする水陸両用車輌

【水陸両用車輌】「Swimming M4A1」または「M4A4 Sherman」は、「Duplex Drive」あるいは「DD tank」とも呼ばれる水陸両用車輌で、「D-デイ」においては5つすべての上陸地点に投入されている。名前からも分かる通り、「Sherman」シリーズの改修車輌で、浮力を生むためにキャンバス生地でできた浮きが付いていたほか、履帯の動きを水上でのプロペラの推進力に変換する「Duplex Drive(複合駆動)」システムが搭載されていた。上陸用舟艇で海岸から数km離れたところまで運べば、そこからは自力で岸まで辿り着くことができ、上陸するとすぐにスクリーンを外して歩兵部隊への支援を開始できるようになっていた。

【Buffalo LVT(Landing Vehicle Tracked)】類似の水陸両用車輌として挙げられるのがこの「Buffalo LVT」である。兵士をはじめ、小型の車輌や補給品を効率的に運搬できた。

装甲ブルドーザー

《ファニーズ》の中には、上陸した海岸で障害物や瓦礫を撤去したり、爆撃でできた穴や対戦車用の溝を埋めることを目的とした整地用の車輌も存在した。

【追加装甲】標準型の装甲ブルドーザー「Caterpillar D7」には、操縦手とエンジンを守るための追加装甲板が取り付けられていた。

【飽くなき改良】Centaur巡航戦車の中には、さまざまなモジュールがドーザーブレードなどの戦闘工兵車輌用の拡張パーツに換装されたものが存在する。巡航戦車がベースになっているため機動性が高く、他の戦闘車輌の移動速度についていくことができたため、戦争の最終盤ではドイツの都市で障害物の撤去などを行っている。

《Canal Defence Light》

【秘密兵器】「Canal Defence Light」は、「M3 Grant」がベースになった戦闘工兵車輌で、敵を欺くために「Canal Defence(運河防衛)」という本来の目的とは異なる名前がわざと付けられていた。本当の目的は夜襲を仕掛けた際に敵を照らすことで、カーボンアークの非常に強力なサーチライトが砲塔に取り付けられていた。

【闇を照らすライト】「D-デイ」では運用されることはなかったものの、その後の戦闘では、占領したレマーゲン市内にあったライン川にかかる橋をドイツ軍から防衛する際に使用されている


大きな犠牲の上に掴んだ勝利

「ノルマンディー上陸作戦」を成功させるため、綿密な計画が練られ、入念な準備を整えられた。しかし、それでも決行日にすべてが上手くいったわけではなかった。多くの兵士や戦闘車輌は、海岸に辿り着くことすらできなかったほか、上陸して間もなく殲滅されてしまった部隊がいるのも事実だ。特に第1陣として進撃した部隊は大きな被害を被っている。

例えば、激戦が繰り広げられたオマハ・ビーチでは、投入されたDD戦車29輌のうち、岸に辿り着くことができたのはわずか2輌だった。この数字を見るだけでも、ドイツ軍の防衛部隊の抵抗の激しさを窺い知ることができるだろう。また、海岸では上陸部隊が激しい攻撃を受けたと同時に、内地にある要所の制圧を任せられた空挺部隊にも大きな被害が出ており、以下の数字が戦闘の激しさを物語っている。

  • オマハ・ビーチに投入されたアメリカ軍部隊34,250人のうち、死者約2,000人
  • ジュノー・ビーチに投入されたカナダ軍部隊21,400人のうち、死者1,204人
  • 第101空挺師団の死者1,240人
  • 第82空挺師団の死者1,259人
  • イギリス第6空挺師団の報告された死者1,500人
  • 1994年6月6日におけるアメリカ軍の合計死者数2,501人、イギリス軍の合計死者数2,700人、カナダ軍の合計死者数1,074人

また、上陸作戦に参加したその他の国の兵士たち(亡命中の兵士も含む)の命も失われたということも忘れてはならない。参加国には、フランス、オーストラリア、ポーランド、チェコスロバキア、ギリシャ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカ、そして南ローデシアなど、数多くの国が挙げられる。

これらの数字は、作戦の成功が、勇敢に戦った兵士たちの大きな犠牲の上に成り立っていることを示している。

【D-デイ追悼】革新、犠牲、そして勇気

本記事では、「D-デイ」の追悼にあたり、作戦を成功に導いたさまざまな技術革新や、兵士たちのかけがえのない犠牲にスポットライトを当てたが、いかがっただろうか。この記事を通して諸君に改めて感じて欲しいのは、命懸けで戦った将兵たちの類まれなる勇気だ。連合国による戦略的な欺瞞作戦や、綿密に練られた計画、そして《ホバーツ・ファニーズ》に代表される技術革新など、どれかひとつでも欠けていれば、作戦は成功しなかったかもしれない。

2024年の6月には、「D-デイ」の80周年を記念するさまざまなアクティビティーを開催する予定だ。史実を振り返る公式配信や、「D-デイ」をテーマにしたバトルパス、そして新登場のPvEのソロモードなどの限定コンテンツを視聴したり、プレイしたりすることで、「D-デイ」の歴史的な重要性をより感じることができるはずだ。

【D-デイ】連合国によるノルマンディー上陸作戦

「D-デイ」の75周年の際に制作された短編ドキュメンタリーも併せてチェックしてほしい。1944年6月6日に至るまでの出来事や、関係の深い戦闘車輌の実際の映像を観ることができるぞ。

字幕についてはチャンネルの設定を確認してほしい。

以上だ!あとはゲーム内で思う存分「D-デイ」関連のイベントを楽しんでくれたまえ!

ソース

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本記事に掲載した画像の多くはボービントン戦車博物館からご提供いただいております。ただし以下の画像は例外となります。

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