第二次世界大戦の終結後、ポーランド軍はソ連製の自走砲を運用していた。1950年代に入ると《T-34》および《T-54》のライセンス生産が始まり、その結果ポーランド独自の戦車製造の基盤が築かれている。《SDP 57 Gowika》と名付けられた本車輌は、時代遅れとなったソ連の《SU-100》や《ISU-122》に置き換わる対戦車自走砲として計画が進められた。計画は成功であると見なされていたが、より見込みのある計画を推進するために試作車輌の製造は中止となった。
車長
無線手
こちらのパラメーターは全搭乗員の職能レベルが100%の場合の値です。