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戦車開発史 #5

歴史特集
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戦車長の皆さん!

今回は「ティーガーフィーバー」について見て行きましょう!

ティーガー I 伝説

第二次世界大戦が開戦する以前からドイツは Pz.Kpfw IV よりも大きな車輌の開発を行っていました。T-34 や KV-1 などのソ連での脅威への対抗策として 1942 年に Tiger は登場します。

Tiger はもともと対戦車能力を重視して開発され、最終的には強力な8.8cm砲が搭載されることになります。対空砲であった8.8cm砲は、対戦車砲として能力を発揮しました。分厚い装甲と強力な8.8cm砲を搭載したTigerの重量は57トンにもなり、整地でも38km/hと機動性はいまいちでした。

<左のボービントン戦車博物館の Tiger I と右の 映画『フューリー』に登場する Tiger I は同じ車両です。>

Tiger の設計は戦前に行われたため、大戦初期のドイツ戦車のような四角い形をしています。T-34や Pantherのような傾斜装甲は持っていませんが、戦場ではその特徴的な形状は恐れられていました。1943年7月のクルスクの戦いでTigerは大量投入され、100 mmの正面装甲をフル活用してマンシュタイン将軍の前衛部隊として活躍しました。

<Tiger I 戦車生産の様子>

Tiger はドイツ最強の戦車というわけではありませんでした。Panther はより機動力がありの火力は Tiger とほぼ同等でした。Tiger の優れている点は厚い装甲ぐらいでした。ノルマンディー上陸後の一連の戦闘の中、ミハエル・ヴィットマンSS中尉の Tiger I は英国軍が占領するカーン近郊の街、ヴィレル・ボカージュに攻撃を仕掛け、15 分間で 14 輌の戦車、15 輌の装甲戦闘車そして 2 門の対戦車砲を撃破しました。これにより英米軍では Tiger は恐れられるようになりました。ヴィットマンは 8月に戦死するまでに 138 輌の戦車そして132 門の対戦車砲を撃破しました。

<ドイツのエース戦車長、ミハエル・ヴィットマン>

ヴィレル・ボカージュの戦闘ではヴィットマンの Tiger は複数回被弾しましたが、ほとんどの砲弾は Tiger の厚い装甲により弾かれてしまいました。逆に Tiger 8.8cm はイギリス軍のどの車輌に対しても十分な威力を誇りました。その後 Tiger は連合軍の恐怖の象徴となり、Tiger と対峙することを異様なまでに恐れるようになりました。

しかし、Tiger 戦車は 1,347 輌しか生産されておらず、その数は限られていました。また、その中でもほんの一部の車輌しか西部戦線に送られませんでした。英米軍が Tiger だと思った車輌の多くは Panther やサイドスカート付きの Pz.Kpfw IV の後期型であることがほとんどでした。Tiger の伝説的な扱いにより戦後製作された第二次世界大戦の映画の多くは Tiger を取り上げ、玩具業界でも Tiger のおもちゃが人気になりました。また、ドイツ戦車人気により、ドイツ語で戦車を意味するPanzerという言葉は英語の辞書になるレベルにまで知られるようになりました。

<戦場での Tiger I 戦車>

続く...

(文: MIchael Fu)

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