利害が一致し独ソ不可侵条約を結び、1939 年に共にポーランドを解体するなど一時期はともに歩んだ独ソですが、1941年にドイツ軍が秘密裏に300万の塀をソ連国境に集め、ソ連に侵攻したことで東部戦線での戦闘が開始します。
ドイツ軍の侵攻は最初のうちは順調に進みます。しかし、そこですぐに大きな問題となったのはソ連の戦車でした。ソ連の利用していた KV-1 や T-34 が想定外に強かったのです。
<左:試験走行中の KV-1 重戦車、右: T-34 中戦車>
ソ連は常に鉄鋼業に力を入れており、軽戦車から重戦車まで、様々な種類の戦車開発にも人材や資源を投資していました。初期のソ連戦車部隊は BT シリーズの軽戦車や T-26 で構成されていましたが、これらは後に中国に売られ、国民党軍の主力として利用されます。その他にも他砲塔戦車の開発しており、T-28 は76mm 砲を搭載した主砲塔の他に、7.62mm 機関銃 を搭載した機銃塔を 2 つ、そして 80mm の装甲を持っていました。
初期のソ連戦車はそこまで優れたものではありませんでした。しかし、試行錯誤の結果出来上がった T-34 は革新的な戦車でした。アメリカの発明家、ジョン・W・クリスティーが開発したクリスティー式サスペンションを採用しており、大型の下部転輪のみで車体を支え、リターンローラーが無いものでした。このクリスティー式サスペンションはショック吸収力に優れ、不整地走破能力が非常に高いものでした。
T-34 の車体装甲は傾斜を意識した設計で、防御力が非常に優れていました。鋳造の砲塔装甲も防御力を意識して、丸みを帯びていました。動力は丈夫なディーゼルエンジンを採用し、最大 55km/h、布施市でも 30km/h で移動出来ました。航続距離が長く、幅の広い履帯のおかげで足場が悪い場所でも稼働できたため、ソ連のような (雪や沼などが多い) 厳しい土地での運用に適していました。
<左:傾斜した装甲は正面からの被弾面積の減少にも貢献しました。
右:軍需大臣のアルベルト・シュペーアが自ら T-34 を視察する様子。>
T-34 は比較的優れた貫通力で知られていた 76mm 砲を装備しており、当時のドイツ戦車は 500m 以内に接近しないと T-34 に対して有効な手立てを持っていませんでした。それに対して、T-34 は III 号や IV 号戦車を 1,000m 以上の距離から撃破出来ました。走攻守で III号 や IV号戦車に勝っていた T-34 は当時世界最強と言える戦車でした。
初期の T-34 は 76mm 砲を搭載していたため T-34/76 と呼ばれます。これは後に開発された改良型、85mm 砲を搭載したものと区別するためです。また、T-34 の製造年は砲塔の形状で区別でき、1940、1942、1943 と違った形をしています。T-34 は製造が簡単だったため、62,000 輌以上が生産され、第二次世界大戦中もっとも生産された戦車です。
<左:鹵獲した T-34 を利用するドイツ兵。右:人民解放軍の T-34/85>
T-34/76 は 4 人乗りで、砲手を兼任する車長、無選手、操縦手そして無選手が乗るはずでしたが、無選手を除く 3 人で車輌を動かすこともありました。ドイツ軍と対峙するときにソ連は人海戦術を活用し、ドイツ軍の質的優位に対して圧倒的な物量で挑みました。戦場に放り込まれた戦車の寿命など知る由もなく、ソ連の開発方針としては 1 輌 1 輌を丁寧に作り上げるのではなく、とにかく大量に戦車を生産して送り出すことでした。実際にソ連戦車を見るとかなり外が荒削りなことに気づくでしょう。それに対して資源の少ないドイツは 1 輌ごとを大事にし、金属加工技術を屈指して表面も非常にきれいに加工された戦車を作り上げました。
<左:ドイツ、ムンスターの戦車博物館の T-34。右:同博物館の T-34/85>
ソ連は T-34、KV-1 そして KV-2 などの頑丈で優れた戦車を運用していましたが、指揮系統や作戦の問題で運用面ではいまいちでした。それでも、当時のドイツの対戦車砲は基本的に 37mm または 50mm 砲で、重装甲なソ連戦車に対しては側面や背面から攻撃しなければ対処できませんでした。ドイツは最終的にこれらの車輌と対峙するために強力な 88mm 対空砲を利用することを強いられます。
T-34 はドイツ軍を非常に悩ませ、新型戦車の設計につながります。T-34 のデザインをそのままコピーするアイディアもありましたが、エンジン技術などの問題もあり、断念されました。最終的に形となったものは V号戦車、パンターでした。
<左:初期のパンターの生産ライン。右:パンターの形状は現代の戦車に近くなっています。>
T-34 のようにパンターも傾斜装甲を活用しましたが、当時ドイツは溶接技術を多用していたため、車体も砲塔も溶接で作られました。パンターの主砲は長砲身の 70 口径 75mm 砲で、ティーガー戦車の 88mm 砲よりも砲口初速が速いものでした。パンターはシンプルで洗練されたデザインで、現代の戦車に近い形の戦車になりました。
<パンターの主砲、7.5 cm KwK L/70 >
パンターはすぐにドイツ軍の主力となり、最終的に 6,000 輌以上が生産されました。一部の戦闘での伝説的な活躍などから人気の高い戦車といえばティーガー戦車ですが、強力な主砲、最大 46km/h の機動力、そして傾斜した頑丈な装甲と、バランスのとれたパンターは多くの専門家から第二次世界大戦中最強の戦車とされます。
1944 年の終盤に行われたバルジの戦いでは、一部のドイツのパンター戦車にアメリカ軍風の緑の塗装が塗られ M10 に偽装されました。アイディアと偽装車輌の出来栄えは優れたものだったのですが、実際の作戦はそこまでうまく行かなかったようです。
<左:ドイツ、ムンスターの戦車博物館のパンター戦車。右:パンター戦車の後部。>
「口径 (長)」とは砲身の長さを口径の値で割った値です。口径長が大きく、砲身が長いほど砲口初速が速くなる他、当時多く使われていたライフル砲ではライフリングによる回転が強くかかり、弾道の安定化そして遠距離での精度向上にもつながりました。
(執筆: Michael Fu 写真撮影: Michael Fu & General Yu)
(つづく…)