[朝鮮戦争] 韓国戦争記念館を訪れて


戦車長の皆さん

69年前の1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が南北朝鮮を分かつ北緯38度線を超えて大韓民国(韓国)に進軍を開始したのです。

Wargamingスタッフは、朝鮮戦争について多くの資料が展示されている戦争記念館を訪問するために大韓民国ソウル特別市へ行ってまいりました。

1994年に開館した戦争記念館は、戦争や軍事に関する展示を行っており、軍事博物館としてはアジア最大クラスです。貴重な兵器、武器、装備品のほかにも、実際に戦争で運用された戦艦やB-52などが展示されています。


 

戦争記念館に着くとまず目に入るのが、敷地内に設置されている兵士たちの銅像です。

朝鮮戦争で敵同士として戦った兄弟の像は、映画『Taegukgi(ブラザーフッド)』を制作する上でとても大きな影響を与えたと言われています。
この兄弟の像は、朝鮮戦争で実際に敵として戦った兄弟の話をもとにして製作されました。
現在は南北統一の願いの象徴として、戦争博物館の敷地内に展示されています。

博物館の建物の内外には、朝鮮戦争で実際に運用されたB-52やT-34といった大型の兵器が展示されています。合計で約160もの戦闘機や装甲車輌が世界中から集められています。T34-85、M4A3E8 Sherman、M47 Patton、M46 Patton、M36、Type 59、Type 63、SU-100などの戦車も展示されています。

弊社スタッフが館内に入ると、いまでも行方が分かっていない兵士とそのご家族の方のためのイベントが行われていました。

展示ホールへと向かう通路には、朝鮮戦争で任務中に命を落とした兵士たちの名前が壁一面に貼られており、おひとりお一人の名前を確認することができます。

展示室の大きなスクリーンには、ご遺骨が戻っていない兵士たちのお名前が表示されています。

また、朝鮮戦争に関わった各国のやりとりや背景も詳しく説明されています。

嵐の前の静けさ 

朝鮮戦争勃発前の6月22日、北朝鮮軍はすでに前線での出撃準備を完了させていました。一方韓国では、5月1日のメーデー、5月30日の総選挙、6月1日の北朝鮮からの平和交渉などに対応するため、韓国軍が厳戒態勢で任務にあたっていました。長期間の緊張状態から兵士たちの疲労はピークに達しており、その疲労の色は日を追うごとに濃くなっていました。
ついに韓国軍上層部が6月24日に厳戒態勢を解除すると、多くの兵士たちはつかの間の休暇を過ごしました。
朝鮮戦争勃発前日。嵐の前の静けさでした。

展示室のスクリーンには、1950年当時の北朝鮮軍と韓国軍の軍事力の差がデータとして表されています。

また別のスクリーンには、戦争開始直前に休暇を楽しむ兵士たちの姿をモノクロ写真で見ることができます。

北朝鮮軍やアメリカ軍が朝鮮戦争で使用した82ミリ臼砲、M-72軍用バイク、銃器が、解説文と共に展示されています。

特に印象的だったのは、ソ連が生産したT-34戦車を撃破したM101 105mm榴弾砲です。北朝鮮の主力戦車は第2次世界大戦で生産されたソ連のT-34でした。開戦当初、有効な対戦車兵器を持たない韓国軍にとって、T-34はまさに驚異の権化でした。韓国軍は持てる武器すべてを使って対抗しましたが、韓国軍の火砲はT-34の装甲を撃ち抜くことはできず、なすすべもない状態でした。しかしついに韓国軍の勇敢な少佐が危険を承知で前にでると、彼の放った105ミリ砲がT-34を撃破したのです。その後、この少佐は部下の兵士たちと共に戦死を遂げました。こうした多くの勇士が北朝鮮軍の侵攻を遅らせ、アメリカ軍の物資が到着するまでの時間を稼いだと言われています。

大韓民国空軍空軍も素手で爆弾を投下するなど、北朝鮮軍の侵攻に対して必死の抵抗を続けていました。戦争が始まった当時、大韓民国空軍にはパイロットが57名、連絡機が12機、練習機が10機しかありませんでした。戦闘機ではない機体には兵器は搭載されていません。そこで操縦士が低空飛行を続けるなか、オブザーバーが機体の窓から素手で爆弾を投下するしかありませんでした。
その頃アメリカ軍はF-51戦闘機の投入を決めていました。10名以上のパイロットが日本に渡ると、そこで必要最低限の操縦訓練を受け、再び前線に戻っていきました。

展示室ではベテランパイロットの戦闘記録やT-6訓練機のパイロット名簿を閲覧できるほか、B-29の爆弾が展示されています。また機体の窓から爆弾を投下する様子が模型で再現されています。

朝鮮戦争でアメリカ軍が実際に運用したM16A1搭載車輌とブローニングM1917A1水冷式機関銃も展示されています。洛東江防御線での激しい戦闘の様子が、モニターと模型によって再現されています。

約300,000の学生が学徒兵として出陣しました。彼等が自分で描いた韓国国旗、そして訓練証書やビデオが展示されています。

心理戦

プロパガンダを利用した心理戦も激しさを増していきました。北朝鮮は、体制と政権の優位性を誇示することに注力し、韓国軍は街頭宣伝を行うことで勝利への確信と行動規範を国民の心に訴えかけました。仁川上陸作戦でソウルの奪還に成功すると、国連軍は北朝鮮軍が撤退すると同時に5000万部以上の政治宣伝用のパンフレットを配布しました。

展示ホールには、韓国軍がプロパガンダ普及のために使用したパンフレット、タイプライター、カメラなどが展示されています。

戦争中に命を落とした兵士たち、故郷を離れなくてはならなかった難民たち、そして各国のリーダーの写真や彫像も展示されています。

朝鮮戦争は1950年6月25日に始まり、約3年後の1953年7月23日に朝鮮戦争休戦協定をもって休戦しました。現在も朝鮮半島全土で124,000人あまりの兵士が行方不明のままとなっています。

展示ホールではその当時の貴重な動画をみることができます。


「戦争記念館」

所在地: ソウル特別市 龍山区龍山洞1街18 梨泰院路29
営業時間: 09:30 - 18:00
休日: 月曜 ※月曜が祝日の場合、営業し翌日休業

入館無料
 [公式ホームページ](英語ページあり) 

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