注意!
あなたが閲覧中のニュースアイテムは、古いウェブサイト形式です。一部のバージョンのブラウザにおいて表示に問題が生じる可能性があります。

閉じる

偉大なる 4 輌: 現代戦車の歴史

現代戦車の歴史

現代における主力部隊は戦力の統合化を目指し、設計されています。この定理は後に主力戦車 (MBT) という形で戦場に登場します。これら現代戦車には敵装甲車輌との交戦は勿論、歩兵や防衛陣地の掃討等様々な任務に対応できる万能性を求められています。

Leopard 1A5 (ドイツ)

戦後ドイツではアメリカ製車輌の M47 と M48 戦車が配備されていました。しかし、これら車輌の性能に満足しなかった軍部は1956年、新たな新型戦車の開発に着手します。ドイツの開発陣はフランス、イギリスの専門家の協力を得ることとなりましたが、論争により、ヨーロッパ産の戦車は誕生しませんでした。

新型ドイツ戦車、Leopard 1 は1963年10月01日より運用が開始されました。生産後、この 4,744 両の同型車輌と、Leopard 1 をベースに開発された車輌が1,741 両作られていました。

この車輌には様々な改良が加えられ、最終型となったモデルは1986年10月に生産され、今日でもドイツ連邦軍のもと Leopard 1A5 として活躍しています。この車輌における主要な変更点は新型の火器管制システム EMES 18 の導入でした。

Leopard 2 に搭載された120mm 滑腔砲の搭載も検討されていましたが、2000年台に入り、旧型の Leopard 1 の退役を行うためこの案は廃案されました。この車輌は今もなおオーストラリアおよびカナダで使用されています。

M1 Abrams (アメリカ)

1962年、ドイツとアメリカの協力のもと、NATO で使用される主力戦車の開発が開始されました。お互いの協力体制の元、安価で効果的な車輌を目指し開発が行われましたが、両者はそれぞれ違う特性を必要としていたため、開発が難航しました。例を挙げると、アメリカは追尾型ミサイルを発射可能な 152mm 砲の搭載を予定していた一方で、ドイツは 120mm 滑腔砲を所望していました。

当初予定されていた 8,000 万ドルの予算は1970年台では約4倍まで、車輌本体の価格も数千万ドルに膨れ上がっていました。この時点で、協力体制は解消されます。アメリカによる改良が重ねられた結果、次世代の戦車の性能は容認できるレベルまで底上げされました。1981年、クライスラー社により制作された本車輌には M1 Abramsの名が与えられました。

初期生産分の Abrams は 105mm 砲を搭載していましたが、1984年に改良が加えられた M1A1 はより頑強な防御と1960年台に当初計画されていたドイツのラインメタル社製の砲が搭載されていました。今日使用されている最新のM1A2 のほかに、M1A3 が開発されています。 Abrams の生産は 2001 年に終了し、計 11,000 両の Abrams が生産されました。

Challenger 2 (イギリス)

この車輌は当初 Main Battle Tank 80 という計画名のもと開発が行われました。ドイツの技術者とイギリスのヴィッカース社の専門家との協力のもと開発が行われましたが、1972年に開発が中断されました。この計画を元に、イギリスはイランの受注の元 Shir-2 戦車の開発に試みました。

1979年のイラン革命の後、車輌提供の契約が破棄されたため、ヴィッカース社には FV 4030 計画の試作車輌が手元に残りました。この試作車輌はいわば持ち運べないが捨てるには高価過ぎる「ハンドルのないスーツケース」のような荷物となってしまったため、イギリス政府の指示の下、 Challenger 1 に昇華されました。車輌が一新された理由の一つとして、1987年 Canadian Army Trophy にて行われた NATO の伝統である戦車コンテストでイギリスの車輌が敗北したという点にありました。1994年に完成した車輌には Challenger 1 に当初搭載されていたオリジナルのパーツはわずか5%にとどまりました。

Challenger 2 はイギリスの伝統を忠実に再現した車輌となりました。当時西側諸国では評価の高かったチョバム・アーマーを採用し、HESH 弾を使用する旧式の 120 mm 砲と60トンの車輌には少々役不足であったパーキンスエンジンを搭載していました。

T-90 (ロシア連邦)

第二次世界大戦後、ソ連では熾烈な戦車開発競争が勃発します。その結果、80年台半ばでは3種類の車輌と1種類の改良型車輌が同時に運用されていました。

ウラルヴァゴンザヴォート社の開発チームは当時ソ連で最も多く生産されていた T-72 の近代化改修を試みました。

1989年には車輌の運用試験が開始され、1992年には軍に制式採用され T-90 の名を与えられました。主な変更点として、完成形の火器管制システムと防御性能の強化など、様々な改良が施された本車輌は国内外ともに高い評価を受け、生産数の約半分は国外に販売されています。主な売却先はインドであり、2013年では約 800 両のT-90が配備されていました。


参考文献:

Walter J. Spielberger /Die Kampfpanzer Leopard und ihre Abarten.

Zaloga Steven J., & Sarson, Peter / M1 Abrams Main Battle Tank.

Simon Dunstan, Tony Bryan / Challenger 2 Main Battle Tank 1987–2006.

S. Suvorov / Т-90. The first Russian serial tank.

閉じる