戦車長の皆さん!
アップデート 9.1のリリースに伴い、現在のヒストリカルバトルに新たにドイツ戦車が連合軍に対して衝突した「トブルク包囲戦」が追加されます。
もしあなたが歴史通か、今後のアップデートに関する僅かな情報でも欲しいとお望みであれば、この戦いの背後にある物語についての詳細を知りたくありませんか?下記に詳細を記載し、またシナリオ内のクールなゲーム内スクリーンショットをご紹介します。
ぜひご覧ください!
第二次世界大戦中、トブルクは地中海沿岸のキレナイカ地方にある港町でした。枢軸軍、連合軍の両軍にとって、トブルクは補給物資の主要積み下ろし港であったばかりでなく、主要街道のまさに中間点にあるかけがえのない拠点であったため、トブルクを支配下に置くことは必要不可欠でした。
1941年1月22日、連合軍はイタリア軍からトブルクを奪取します。一連の戦いでイタリア軍は大敗を喫し、連合軍は大量の戦車や砲といった戦利品や捕虜を接収しました。ドイツ軍はこの敗北を受け、地中海が連合軍側に完全に支配されることを懸念し、イタリア軍支援のために北アフリカへエルヴィン・ロンメルが指揮するドイツアフリカ軍団を派遣します。
3月31日、ロンメルは予想外の速さで反抗を開始します。ドイツ軍が体制を整え本格的な反抗を開始するまではまだ多くの時間が必要であると仮定していた連合軍は、この攻勢により全面撤退を強いられます。
イタリア、ドイツ軍からなる枢軸軍は4月4日にベンガジ(近隣の港町)を奪還し、トブルクに向かって前進しました。
議論の末に、イギリス軍司令部はトブルクで籠城戦に入り、枢軸軍の補給線を切断し続けることを決定します。この時、トブルクはオーストラリア第9師団、第7師団、第16歩兵旅団および約1,500のインド人の兵士によって防衛されていました。守備部隊は寄せ集めとは言え、戦車約60両を持っており、レスリー・モーシェッド中将がトブルク守備部隊の指揮にあたりました。
4月の初期の数週間に、ロンメルはトブルクを占領しようと攻撃をしかけますが、トブルク守備部隊は粘り強く抵抗を続け、攻撃は失敗に終わりました。しかしドイツ軍及びイタリア軍の第5軽師団とブレシア師団によってトブルクは包囲下に置かれます。
4月15日、トレント歩兵師団によって増強されたイタリア軍アリエテ師団が、防衛された町の西部への攻撃を試みますが、これらの攻撃は成功しませんでした。
4月30日の夕方に、ロンメルはトブルクの別の主要な箇所への攻撃を開始します。連合軍のトーチカや地雷原により多大な損失を出しながらも、イタリア - ドイツ軍の防衛線突破は近いように見えました。ロンメルは多くの戦力を投入することによって突破口を開こうとしましたが、オーストラリア軍の守りは強固でした。戦闘は攻撃が中止された5月4日まで続き、最終的に1941年11月まで包囲は続きました。
11月18日に、アラン・カニンガム中将率いるイギリス軍は、反攻作戦であるクルセーダー作戦を実施し、メルサマトルーからの反撃を開始しました。シディ・レゼグでの戦いによりカニンガム中将率いるイギリス軍はひどく損耗しましたが、ロンメルも同様に損失を被り、また補給が先細りとなりつつありました。
11月27日、フライバーグ将軍配下の第2ニュージーランド師団がトブルク解放の戦列に加わり、イギリス第70歩兵師団と連携することに成功します。こうして244日ぶりに完全に包囲が破られ、トブルクは開放されました。
トブルクの守備部隊による勇敢な戦いが、戦略的に重要な拠点であるこの街を防衛する上で重要な役割を果たし、そしてスエズ運河へのイタリア - ドイツ軍の侵攻を防ぐ結果に繋がりました。 この一連の戦いで連合軍はハルファヤとバルディアの町の他、枢軸軍の捕虜約3万人を接収することに成功しました。
しかし最も重要なのは、クルセーダー作戦によってロンメルの無敵神話を打ち崩し、より困難な戦いがアフリカの同盟国を待っていたとしても、この戦いが枢軸軍の敗北への道を切り開いたということです。