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フランスの騎兵戦車 SOMUA S35

フランス軍は第一次世界大戦後に機械化を推し進め、その波はすぐに陸の機動部隊、騎兵科にも押し寄せました。1930年代前半に騎兵科は装甲戦闘車輌に求める技術的仕様及び戦略を書き上げました。この車輌は騎兵科専用に設計された戦車で、シュナイダー社の子会社で、武器製造を行っていたソミュア社よって設計されることになりました。

主力騎兵戦車

ソミュアは1934年10月に40mmの装甲、最高速度30km/hの13トン戦車の設計及び生産に関する契約を交わしました。ソミュアはわずか7ヶ月で最初の試作車輌を作り上げ、4月には試作車輌の準備ができていました。このスピード開発は国外の技術者の経験を取り入れることで可能となったものでした。サスペンションやトランスミッションは以前チェコのスコダ社で戦車を設計した技術者たちが行い、部品は当時としては優れた設計のLT 35軽戦車のものを流用しました。エンジンやギアボックスの設計もチェコのものを元に作成されました。

新型戦車は速力と行動距離では騎兵科の条件を十分満たしていましたが、まだ完璧とは程遠いものでした。しかし、騎兵科は早急に戦車が必要な状況で、問題を洗い出す前に第1次発注を行いました。1939年に就役したこの戦車は1935 Sとして制式化されましたが、一般的にはソミュアS35として知られています。

騎兵科は早急に戦車が必要な状況で、問題を洗い出す前に第1次発注を行いました

開発にかけた期間があまりにも短かったため、運用が開始されたS35の機械的信頼性は低く、また車内のレイアウトの関係でメンテナンス性も非常に低いものでした。その後2年の間に車輌デザインに多くの改良が施され、ほとんどの問題は修正されました。そののちに騎兵科は車輌の大量導入に踏み切ります。

車体正面最大36mm、砲塔正面最大56mmの装甲を持ち、機動力も高く、強力な47mm砲を搭載したこの車輌は、当然のことながら当時世界一の戦車と見なされていました。しかし、車長が砲手と装填手を兼任する1人乗り砲塔は大きなデメリットでした。理屈の上では、ターレットリング拡張後は、無線手が装填手として車長を手伝うことになりましたが、実戦ではそれはほぼ不可能だったようです。

1939年の春には既にソミュアS35の近代化改修案が構想されており、 (190馬力から)より強力な220馬力のエンジンへの変更、そして新型シャーシが提案されていました。しかし、一番の改良は車体と砲塔の作りで、鋳造ボルト止めではなく溶接された圧延鋼鈑が計画されていました。この改良型はソミュアS40と呼ばれ、1940年10月に生産が開始する予定でしたが、戦争が開始したことで計画は前倒しになりました。技術者たちはこの改良型戦車の生産は1940年7月に可能だとしましたが、ドイツの侵略は更に早く、フランス侵攻は5月に開始しました。

恋と戦は手段を選ばず

1940年5月12日にベルギーで始まったアニューの戦いは第二次世界大戦初の大規模戦車戦といえるでしょう。ここで投入されたS35はドイツ軍を非常に苦しめました。

アニューの郊外のクルアンにでは一個小隊のS35がドイツ戦車4輌と対戦車砲の砲列を撃退しました。別のS35の小隊はドイツのエーバーバッハ大佐の乗る車輌をタンの近くで撃破しました。エーバーバッハ大佐は無事に脱出しましたが、攻撃は一時中断することになりました。ドイツ軍は夜に再び攻勢に出ますが、S35の反撃を受け撤退しました。S35は20mmと37mm砲から20~40発の直撃弾を受けますが、貫通したものはなかったそうです。しかし、勝利は局地的なもので、他方面では劣勢だったため、フランス軍は防衛線を後退させることになりました。

ソミュアS35は1940年のフランスでの戦いに最初から最後まで参加していますが、全体として苦しい状況で局地的な成功を収めていたというのが実情でした。

フランスが降伏した後は多くのS35はドイツ軍に利用されました。ドイツにより改修が行われ、2人乗り砲塔の搭載と無線の強化を施され、Pz.Kpfw. S35 739(f)という名前を与えられました。ソミュアS35はここでも様々な方面で戦闘に参加し、独ソ戦でも利用されています。独ソ戦でのこの車輌の利用はブレスト要塞防衛戦で使われたドイツ戦車に関するうわさの元になったのかもしれません。

ドイツは1941年5月23日にソ連侵攻を開始し、ブレスト要塞はドイツの攻撃にさらされる最初の要塞のひとつとなりました。ドイツの主力戦車部隊はこの要塞を迂回していき、攻略は歩兵や砲兵に任せました。要塞の攻略を早めるため、ドイツ軍は28号装甲列車に搭載されていたS35を利用することにしました。車輌は駅で列車から降ろされ、戦闘に投入されましたが、その日の終わりには投入された3輌すべてが要塞の北門付近で手榴弾や対空砲によって撃破されていました。

再び鹵獲されたS35はソ連によりフィンランドやノルウェーでの戦いに投入されました。1944年には祖国を開放する自由フランス軍によりソミュアS35はまた利用されます。これが大戦初期にフランスが誇った戦車の物語です。ソミュアS35の開発や改良に関わった技術者の多くは戦後も戦車開発を続けフランスの戦車産業を支えました。

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