更新: 動画はアジアサーバー各言語の字幕に対応しています。
戦車長の皆さん!
ザ・チャレンジャー:アジア編が戻ってきました!
オーストラリアを離れたチャレンジャーは北上して台湾近海の群島、金門県を目指します。戦車を利用した戦いを含む戦闘を何度か経験したこの島々には多くの戦争に関する展示や博物館が並びます。
という事務的な話はこれぐらいにして、動画に合わせてチャレンジャーが個人的に書いた金門の回想録を早速見て行きましょう!
金門島: 台湾の歴史の大舞台となった小さな島
金門に降り立った私はこの島と一瞬で恋に落ちました。とても落ち着いた、静かな雰囲気の島で、島の人々は暖かく迎えてくれました。
歴史
豊かな歴史を持つこの島は共産党と国民党の勢力がぶつかった戦いを思い出させるもので、軍事史に興味がある方は訪れて損のない場所でしょう。
金門島は台湾海峡の端、大陸本土から 2km の位置にあり、現在の中国情勢を語る上で重要な場所です。大陸に非常に近い位置にありますが、台湾の中華民国政府の管轄にある土地です。
金門島にはおよそ 6,500年 以上前から人が住んでいた形跡がありますが、文献に現れるのは西暦 317年頃、唐 の時代 (618~907年) からです。
この島は 1640年代 には、中国本土を占領した清王朝に対して、明を擁護し抵抗運動を続けた将軍、鄭成功 の海軍の拠点として利用されました。
欧米では金門は「Quemoy」の名で知られていた時代もありました。連合軍が日本に宣戦布告をした 1941年 に国共内戦を戦っていた 中国共産党 と 中国国民党 は国共合作により一旦停戦します。国民党を指揮していた 蒋介石 はスターリン、ルーズベルト、チャーチルと共に日本と戦うことを決意します。日本は 1945年 に無条件降伏しこちらでの戦いは集結しますが、その後共産党とのにらみ合いは再開します。
上:1943年の中国時報に写る蒋介石とその妻、宋美齢
そして 1948年 には 毛沢東 率いる人民解放軍との戦いに敗北した国民党軍は金門島に撤退します。 毛沢東 は上海そして北京を占領し、台湾そして金門島を次の標的にします。台湾本島への入り口となる金門島は最初のターゲットになりました。それに対して国民党軍は金門島の防御を強化し、現在でも多く残る要塞を作り上げます。国民党軍はいずれ来るであろうと考えていた本土奪還の拠点としても金門島を利用しようと考えており、蒋介石は「我々に台湾があるかぎり、共産党に勝利はない」と言ったとされています。
上:毛沢東国家主席 (写真提供:ワシントン・タイムズ)
1949年 に国民党軍の守備体制と戦いへの決意を過小評価して島を攻めてきた人民解放軍の侵略を返り討ちにしました。
画像提供:金門国家公園
1958年8月23日 に人民解放軍は金門島に対して激しい砲撃を加え、金門県の地域に対して 480,000 もの砲弾そして 44日間 連続での爆撃を行いました。そこで毛沢東は一旦停戦を申し入れますが、アメリカ軍が介入し空母を周辺地域に派遣したことで砲戦は再開します。最終的に、毛沢東は米軍の軍艦が中国の沿岸を離れれば砲撃を奇数の日付のみに減らすという提案をし、米軍はそれを受け入れます。台湾側も月・水・金のみに砲撃を行うことに同意し、共産党も火・木・土のみに砲撃、 日曜日は停戦 という不思議な合意のものと 20年間 断続的な砲戦が続けられ、時には両軍宣伝ビラなども送りつけ合いました。
上:宣伝ビラを大陸と金門島の間運ぶのに利用された小舟 (写真:psywar.org)
上:「台湾の経済はどうだ?」と問いかける中国共産党の宣伝ビラ (写真:psywar.org)
そして 20年 が過ぎ、ニクソン大統領が北京の中国共産党を正統な政府として認めたことで、共産党は金門島の奪還を断念し、金門島は台湾の管轄に残ることとなります。その経緯を知れば、戦場の島 として知られているのも不思議ではありません。
1995年 に歴史や戦場跡が残る島の多くは台湾の第6番目の国家公園として認定されます。
金門島には未だ兵士が配備されていますが、100,000人 以上が駐屯全盛期の 1958年 と比べると規模はかなり縮小されています。
今回の金門島訪問ではあまり時間が確保できず、島の多くを見れなかったことが非常に残念です。特に、砲撃戦の間兵士を守るために掘られた島に多く残るトンネルはそのうちまた見に行けたらと思います。
動画について
この動画では島で発生した戦闘の物語に重点を置き、金門国家公園 を紹介します。残念ながら島に展示してある車輌は屋外展示により痛みが酷く、また中には入ることが出来ませんでしたが、それでもこのビデオツアーをお楽しみいただければ幸いです。
最後に
この撮影に協力してくださった Wargaming Asia の皆さん、私の終わりのない質問の嵐に答えてくださったガイドの方、そして 国家主席も占領出来なかった島 、金門島の皆さんにこの場でお礼を申し上げたいと思います。
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参考文献:
Cold War Island: Quemoy on the Front Line - (著) Michael Szonvi
The Islands of Taiwan - (著) Richard Saunders
Defence Sites II: Heritage and Future - (著) C.A. Brebbia, C. Clark
パブリック・ドメイン
金門国家公園
Psywar.org