アメリカには長いこと、戦車を主役とした優れた戦争映画がなかった。私の「戦車兵が見るべき映画」リストには「モンティ・パイソンとホーリーグレイル」があげられているほどに、実際の戦車兵を描いた映画は、「The Beast(放題:レッド・アフガン)」、「Kelly’s Heroes(戦略大作戦)」、「The Pentagon Wars」くらいで、もう何十年も作られていないのだ。シリアスな映画であれば「遠すぎた橋」でマイケル・ケインのアイリッシュ・ガーズがドイツ軍の対戦車陣地を粉砕する場面があり、この主の先頭を熱方映像では抜群の出来だが、これを戦争映画の切り口にはできない。戦車兵なら共感を得られると思うが、私は「Fury」の第一報から関心を持っていた。結果として、私は撮影スタジオから招待を受けたので、私はロシアでの仕事の帰り道にイギリスに寄ることにした。サンフランシスコでのE3イベントにて、我々は Wargaming.net が「Fury」に協賛していることを告知したが、そろそろ私が知ったことを公表してもいい頃だろう。
最初に訪問したのがパインウッド・スタジオだ。映画撮影のメッカで、聞いたところだと、現在は7本が撮影中とのこと(私にはさっぱりだが、ジェームズ・ボンド映画撮影ステージには特定できない変な車輌が準備されていた。)。私はすぐに「Fury」の脚本/ディレクターであるデヴィッド・アヤーに紹介されると同時に、戦場の模型を見ることができた。次に見たのは街の模型で、M4中戦車、ハーフトラック、ドイツ戦車やほかの装備品がオフィスに転がっていた。もちろん他のスタッフもいたが、戦車以上に関心を引くものではなかった。本音を言えば、私は圧倒されて、写真もメモも取れなかった。もっとも写真はたくさんある。壁の半分は戦車の写真や資料でうめつくされていた。奥にある次の部屋の壁に至っては、戦車や砲、歩兵、建物の写真で埋め尽くされていた。
このプロジェクトの背景を聞いただけで、アヤー氏がこの映画製作にかなりの私費を投じていることがわかった。話はすぐに詳細に至ったが、アヤー氏は普通の人ならわけが分からず会話できないような専門的な内容にも精通していた。そしてティーガー戦車の生産タイプの違いに話が及ぶと、彼はすぐにシュピールベルガーの本を取り出し、目当てのページを開いた。彼は自分で調査しているのだ(本棚にはザロガやイェンツ、フレッチャーの本もあった)。
もちろん彼がただ一人ではない。スタッフの一人でアイルランド人のオーウェンは、制服が入った届いたばかりの包みを開けて私達に見せに来た。オリジナルを忠実に再現したコピー品で、中のタグには製造者のスタンプが押されていたが、明らかに映画用レプリカとしては最高の完成度であった。彼の言葉を借りるまでもなく、注がれた情熱は本物であった。いずれにしても、このスタジオに訪れた戦車兵は、私が最初というわけではなかった。戦車兵でなければ知るはずもないようなことまで、しっかりと調べられていたからだ。
しばらくしてから、アヤー氏は仕事にとりかからねばならなかったので、我々は他のスタッフに会いに行った。戦車に関する資料や写真はあちこちにちらばっていた。M4 シャーマンの砲塔内部に関する LIDAR スキャンのプリントまであった(カメラの出入りがあるので、砲塔及び社内のレプリカを作る必要があったのだが、内装品は本物を使用するつもりだという)。
私は VIP として扱えてもらえたようだ。プロップが置いてあるエリアでは、まるで戦場さながらに様々な装備品やジェリカン、タイヤが山積みにされていた。そこでは武器よりも支援物資のほうが多くなる。私は準備中のキューベルワーゲンを見たし、生木で作った野外炊事装備まであった。撮影開始は翌月だというのに、準備に投入されている作業量の多さに私は驚いた。本当にまだ始まったばかりなのだ。
パインウッドの素敵な食堂で昼食を終えて次に訪れたのは、ロングクロスのスタジオである。野外キッチン以外にはなにもない。
ボーヴィントン戦車博物館のティーガー重戦車131号車を撮影に使っているが、乱暴には扱えない、そこで彼らはレプリカを作成した。実際には、2つ目の砲塔を作成していたので複数両あるのかもしれない。
ここも本当にクールな場所だ。ロングクロスはアメリカ軍のアバディーン実験場の地方版といった場所であった。サスペンション試験場および傾斜走行試験場は、映画撮影用のフィールドになっている。大きな、緑に囲まれた建物はチーフテン主力戦車の砲塔試験場だ。ここに「ティーガー」が来たのは初めてではない。
本の中のティーガー重戦車131号車(ティーガーの性能調査書)を見て欲しい。背景に写っている建物と同じことがわかる。そう。まさに70年前に131号車の調査が行われていた建物で、彼らはティーガーを復元しようとしていたのだ。なんの偶然だろう。オーウェン氏と私からダブルで「いいね!」と言いたい。
悲しむべきことに、この訪問で仲間が撮影した写真が届いていないが、彼が映画のために戦車を作るのはこれが最初で最後というわけではない。
おっと、まだあるぞ。どうやらすくなくとも1両の M4 シャーマンが、映画の中では不幸な終りを迎えるようだ。
この砲塔のダミーは無視して欲しい。この写真は他の建物の中で草むしていたスクラップである。
このパネル器具からエンジン試験場であったと類推できる。防弾ガラスが使用されているのは、エンジン耐久試験をしていたからだろう。イギリスの国防省はエンジニアがエンジンの爆発事故で死ぬのを嫌がったのだ。十分にありえる事態であったのだ。偶然、道標を見ると隣町がチョバムであることがわかった。ここも戦車開発の聖地だ。戦車映画の撮影にこれほどふさわしい場所もないだろう。
そろそろ終わりにしよう。アヤー氏は「地獄の黙示録」がお気に入りの映画だと言っていた。この記事を締めくくるにあたって、キルゴア中佐が「素晴らしい帽子」をかぶっている姿をお送りしよう。
すべてのスタッフがこの映画にかけていた情熱の大きさに、私は心から感銘をうけた(もちろん、私にはほとんど映画撮影現場の経験はない!)。完成した映画が、この情熱に値するものであることを期待してやまない。
この日、一日賭けて見学に付き添ってくれたアレックス・オットー(副プロデューサー)とオーウェン・ソーントン(アソシエイト・プロデューサー)に感謝したい。そして私を歓迎してくれた、アヤー氏をはじめ、制作スタッフにも本当に感謝している。本当に素晴らしい訪問であった。
これ以上は Facebook とかで。