My Favorite Tanks 第11回 T-34/76 / 速水螺旋人

T-34 / 速水螺旋人

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今人気のイラストレーター、漫画家の方に、World of Tanksに登場する車輌の中からお気に入りの一輌を選んで描いていただき、素敵なイラストと車輌解説でご紹介をする連載イラストコラム企画の第二弾 「My Favorite Tanks」 。

第11回は「大砲とスタンプ」などのミリタリーコミック作品でお馴染みの速水螺旋人先生に、第二次大戦中に投入されたソ連を代表する戦車であり、3万5000輌以上が製造され戦車史に残る傑作戦車である 「T-34/76 (ゲーム内表記:T-34)」を描いていただきました!

ソ連戦車と言えば、やっぱりタンクデサント?速水螺旋人先生が描くポップなキャラクターと緻密な戦車のイラストをお楽しみください!

 


中戦車 T-34/76

速水螺旋人先生のコメント

T-34/76は男泣き戦車です。特にスターリングラード工場製が好きです。

今回は「聖なる戦い Священная война」がBGMのイメージで描きました。独ソ戦を象徴する歌の筆頭です。ドイツ軍がソ連に侵攻した数日後に作曲されたのですが、その後4年に渡る激戦を予感するかのような悲愴で決意みなぎる力強さにあふれています。

映画『炎628』や『モスクワ大攻防戦』で印象的に使われていました。名曲ですぞ。
ちなみに作曲者アレクサンドロフはソ連国歌(現ロシア国歌と同じ旋律)も手がけています。

 


車両の解説

第二次世界大戦における最高の傑作戦車リストがあるなら、かならず最上位を占めるであろう戦車、それがT-34/76だ。厳密には後継の85mm戦車砲搭載型、T-34/85と区別する必要があるが、以降、本稿ではT-34と表記する。

重量26.8トン、時速54km/h、口径76.2mmの長砲身戦車砲を搭載し、最大52mmの良好な避弾径始が与えられた前面装甲を持つこの戦車がいかに優れていたか、例えば同時期のライバルとなるドイツ軍のIV号E型戦車(21トン、42km/h、75mm短砲身、装甲35mm)とくらべるだけでもわかるだろう。しかもV-2ディーゼルは世界に先駆けて実用化された戦車用ディーゼルエンジンであり、ライバル戦車のガソリンエンジンが300馬力の壁を前にあえいでいる中で、500馬力という破格のパワーを発揮していた。

だが、傑作戦車T-34は偶然生まれたわけではなく、相応の歴史的な蓄積の結果として生み出された兵器であった。もともとソ連軍は戦車に対する理解は深い。ヨーロッパとアジアを繋ぐ広大な国土を守るのに、機動力に富んだ戦車部隊はうってつけであったためだ。革命戦争の英雄トハチェフスキー元帥の指導のもとでソ連軍は積極的に機械化を推し進めた。BT系快速戦車やT-26軽戦車はこの頃の成果だ。しかしスペイン内戦や、張鼓峰事件などの紛争で、ソ連軍の軽戦車は優れた戦果をあげつつも、損害の大きさも問題になった。特に1939年5月に始まったノモンハン事件では、最終的に勝利はしたものの、戦車部隊は歩兵砲や火炎瓶攻撃で痛撃されており、もっと強力な戦車が必要との気運が高まった。つまりBT-7並の機動性と、T-28中戦車のような攻撃力を併せ持つ新型中戦車が熱望されたのだ。

このとき浮上したのは、T-28中戦車にクリスティー式サスペンションを組み込む強化戦車案と、BT戦車をベースに武装と装甲を強化する案のふたつで、ウクライナのハリコフ機関車製造工場が主導した後者がT-34となった。ちなみに前者は曲折を経てKV-1重戦車へと進化している。

T-34中戦車用の戦車砲は当初、30口径長の短砲身砲76.2mm戦車砲L-11が使われたが、強力なF-32砲が政治的圧力でKV-1重戦車に優先的に回されてしまったので、第92砲兵工場と組んで、独自に41.5口径長のF-34戦車砲を開発して、これを搭載した。

制式化されたT-34は、1940年から急ピッチで生産された。1941年6月22日の独ソ戦開始時には実にドイツ軍の戦車全体の3割にも匹敵する1225輌が完成しており、前線には700輌以上配備されていた。ドイツ軍を食い止めるには十分な数であった。しかし当時、肝心の戦車部隊の編制ははじまったばかりで、訓練、整備補給などあらゆる支援体制が構築中か、あるいはまったく準備されていなかった。戦車兵も寄せ集めで、前線戦車部隊の実車操縦訓練時間は平均4時間ほどであったとも言われている。結果として、戦車は新品でも武器弾薬が一会戦分しかなかったり、簡単な部品がなかったせいで戦場に遺棄されるなどして、まともな戦いをしないうちに戦力を消耗してしまったのだ。牽引回収用のトラクター不足も、こうした混乱に拍車をかけた。

だが、ドイツ軍がモスクワに迫る頃には十分な訓練を受けた部隊が現れはじめた。そして1944年までに3万5000輌以上が生産され、ソ連勝利の大きな原動力となった。

解説文:ウォーゲーミングジャパン ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx

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スクリーンショット

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