今人気のイラストレーター、漫画家の方に、World of Tanksに登場する車輌の中からお気に入りの一輌を選んで描いていただき、素敵なイラストと車輌解説でご紹介をする連載イラストコラム企画の第二弾 「My Favorite Tanks」 。
第08回は、細かなミリタリー描写が特徴のキャラクターイラストで人気のイラストレーターのくーろくろ先生に、ソ連ツリーのTier VI 駆逐戦車 「SU-100」が、対戦車自走砲らしく待ち伏せをしているようなシーンを描いていただきました!
アジアサーバー開設前からWorld of Tanksをプレイしていただいているという、古参戦車兵のくーろくろ先生のイラストとコメントをお楽しみ下さい!
初めまして、くーろくろと申します。
兵器で一番戦車が好きで、World of Tanksもアジアサーバーが出来る以前からプレイしていました。
当時3Dに弱いPCだった為最低画質でもスタート時にディレイがかかったり、周りは外国の方ばかりなので連携が取れなくてその点少し苦労しましたが、SU-76でカタカタと戦場を走り回り、遮蔽物の小さな隙間を見つけて位置取りし、狙撃するがとても爽快でした。
今回描かせて頂いたのは私の大好きな対戦車自走砲の一つ、SU-100です。
SU-100は子供の頃に国連仕様の白塗り車輌を見て気に入って、某社の大型模型を組み立てて遊んでいました。
仕事の都合で中断していましたが、またこの機会にツリーを進めてSU-100を手に入れたいと思います。
ソ連陸軍は第二次世界大戦中にT-34中戦車をベースとした自走砲を多数開発している。開戦時の1941年夏に、ソ連軍にはこうした車種は存在しないので、ドイツの成功例に倣った兵器と思われているが、そうではない。実はソ連は機械化部隊の研究が早く、戦前から自走砲開発が検討されていた。しかし、スターリンによる大粛清で研究が止まったことと、ドイツ軍との緒戦の敗北で多量の戦車を失ってしまい、まずは戦車の増産が優先されれたのだ。
そんな苦戦にさらされつつも、ドイツ軍のモスクワ侵攻を阻止して一息ついたソ連軍では、1942年春からようやく自走砲の開発に着手できた。これが同年暮から量産が始まったSU-122自走砲である。T-34の車体を流用して箱型の戦闘室を作り、手持ちの榴弾砲を改造して積載しただけの兵器ではあったが、性能よりも量が優先された時期の兵器としては、期待以上の活躍をした。
しかしSU-122はあくまで榴弾砲がベースであるため、対戦車能力が弱い(WoTでも自走砲として扱われている)。1943年にはティーガー戦車の実戦投入が始まったように、ドイツ軍の重戦車投入は急ピッチで本格化する。これに対抗するために、ソ連軍では対戦車戦闘力に特化した自走砲が必要とされ、1943年春から85mm対空砲52Kを搭載した自走砲の開発が始まった。これがSU-85対戦車自走砲である(もちろんWoTでは駆逐戦車として扱われている)。
SU以下の数字は搭載砲の口径を表すものであるが、SU-122より数字が小さいからといって能力が低いわけではない。こちらのほうが初速に優れた徹甲弾を撃ち出せるぶん、対戦車戦闘力が高いのだ。1943年8月から約1年間にわたりSU-85は2335輌ほど生産され、戦争後半のソ連軍の貴重な対戦車兵器として活躍した。
しかしSU-85の開発と同時並行された搭載砲の強化はなかなか進まず、早晩、SU-85の性能は頭打ちになってしまうと予想された。そこで軍ではSU-85ベースの強化をあきらめ、海軍の100mm艦載対空砲B-34を対戦車自走砲用に作り変えることが決まった。ところが、当初、中央砲兵設計局が手がけた100mm砲S-34はサイズも後退幅も大きすぎて、車体設計から大幅な変更を加える必要があった。対戦車自走砲の開発を命じられていたウラル重機械工場は困り果てたが、第9工場がコンパクトな100mm砲D-103の開発に成功したので、新型対戦車自走砲SU-100の開発にめどが付いた。
SU-100の車体はT-34-85をベースとしたぶん、SU-85より余裕があり、しかも専用のキューポラを搭載していたので天井スペースに余裕が生じて、懸案だったベンチレーターを付けることができた。これにより、格段に内部からの視認性と居住性が向上している。
装甲も、SU-85の45mmの傾斜装甲から75mmに強化された。外見の変化以上に大きな強化ではあるが、よいことばかりではない。前面装甲の強化と100mm砲の搭載により、SU-100は明らかにノーズヘビーであり、サスペンションは過負荷にあえいでいた。現存の展示車両の多くがやや前傾気味に見えるのは、経年劣化でサスペンションが破損しているためである。
それでも、SU-100の攻撃力は強烈で、バランスのよい対戦車自走砲であった。戦場に投入されたのは終戦から半年前の1944年11月であったため、主要な戦車戦には参加していない。それでも局所的に登場するドイツ軍重戦車にとっては、極めて厄介な敵であったはずだ。
SU-100は終戦後の一時的な中断をはさみ、1956年まで生産された。またチェコスロバキアでもライセンスされるなど、旧共産圏では非常にポピュラーな兵器であった。対戦車自走砲としては、これ以上進化させる余地がなく、安定した兵器として歓迎されたのだろう。
解説文:ウォーゲーミングジャパン ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx
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