イラストで知る日本戦車 第15回 STB-1 / 小林源文

STB-1
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日本の戦車にスポットを当てて、ご紹介をするイラストコラム 「イラストで知る日本戦車」 。最終回となる第15回は、日本戦車ツリーでは最強のTier X 車両として登場し、現在でも陸上自衛隊で現役として活躍している74式戦車の試作車両 「STB-1」の迫力あるイラストを小林源文先生に描いて頂きました!

 


試作戦車 STB-1

車両の解説

陸上自衛隊は、61式戦車の部隊配備とほぼ同時に、次期主力戦車の開発に着手している。それがST-Bだ。
61式戦車は旧軍から継承した技術と、アメリカ供与兵器で得た技術の折衷という性格が強かった。だが今回のST-Bではこの間に自動車工業とエレクトロニクスで世界の最前線に躍り出た強力な民需産業を背景に、戦車主要国へのキャッチアップが求められた。

とはいえ、国際環境がそれを簡単には許さない。当時、100mm戦車砲を搭載したT-54/55の配備がソ連で進み、いまさらながら61式戦車のパンチ力不足を不安視した陸自では、現行の61式戦車にロイヤル・オードナンス製105mm戦車砲L7を搭載する61式改戦車案が浮上していたからだ。

しかし攻撃力を得る反面、火器管制装置の再設計や発射速度の低下、車体全体の機動性低下など、全体ではマイナスであると判断され、改めてST-Bは新戦車として開発することになった。ちなみにこの61式戦車改案は、WoT内ではTier IXの最終開発形態で検証できる。

ST-B開発は、まずコンポーネントごとの開発と評価試験から始まり、ST-Tと呼ばれる試験車台を使って、700馬力級の10ZFディーゼルエンジンや、油気圧式(Hydropneumatic)サスペンション、新式の鋳造砲塔のチェックが行われた。
既述のとおり、主砲はアメリカやドイツでも採用されている、西側諸国の標準装備とも呼べる105mm戦車砲L7である。
当時、105mm砲は日本人の体格に厳しいと思われ、補助装填装置ないし自動装填装置の搭載が考えられていたが、予算削減のために見送られている。

こうして1969年に組み立てが完了した第一次試作車がSTB-1だ。試作車両はSTB-4まで作られ、4年をかけて各種試験を重ねた結果、1974年に74式戦車が制式化された。

STB-1の特徴はといえば、最大マイナス13度もの俯角を可能とする油気圧式サスペンションだろう。
稜線射撃時の優位のほか、不整地の高速機動性能も優れている。ただし転輪と車体底面には油気圧シリンダーと送油パイプが張り巡らされているぶん、初期トラブルの解消まで時間がかかり、制式化後も地雷などに弱いと懸念されていた。

WoTのSTB-1はまだ油気圧サスペンションの印象的な機能をビジュアル化ていないが、性能には反映されている。
実際に使ってみれば、この戦車がTop Tierに君臨している理由はわかるはずだ。

解説文:ウォーゲーミングジャパン ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx

 ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx の活動は Facebook ページでも配信中!

 

小林源文先生のコメント

このイラストは昔見た高名な絵描き高荷義之先生の影響がかなり入っております。

私が好きな戦後型の日本戦車の筆頭は、この第三世代74式戦車なのです。 74式戦車の次世代戦車として、20年後に登場した90式戦車は最強なのでしょうが、シルエット的に戦車らしい戦車は74式でしょう。

90式が登場するときに開発に関わった自衛隊の方からは、距離3,000m以上で一発必中ですよと教えられました。
米国M1 MBTの後に開発されたので当然と言えば当然ですが、現在の10式戦車は軽量化してますが90式よりは当然性能は高いはずですね。

今回のイラストは、私が描いた作品の中で一番気に入っている「バトルオーバー北海道」のハイライトシーンを 題材にしました。
主人公の戦車長は最初に90式に搭乗していますが、ソ連軍の対戦車ミサイルに一度撃破され、その次に乗り換えたのが この74式です。 私の好きな74式に活躍させたかったのが本音なんですよ。

物語の最後で自衛隊の大反撃で、音威子府から旭川を過ぎて札幌の向かう、ソ連機甲部隊の先鋒部隊を撃破した シーンをイメージして描きました。 物語の参考資料で役に立ったのは80年代の仮想戦記「チームヤンキー出動す!」で、米軍戦車中隊長の苦悩が上手く 表現されており、現役軍人の作品と思えない秀逸の第三次大戦ものだろうと言えます。 その著者が、それ以降に書いた数冊の戦記物は、私はあまり面白い小説とは思えませんね。
また、頭の中の想像力では1944年ノルマンディにおけるビットマンの再現をイメージしました。 WoTのゲームの中の殊勲賞でビットマン勲章が消えたのは、非常に残念です。 海外のヒストリカル・イベントでは武装SSのコスプレが一番人気なのに、幾ら政治的配慮とは言え何とも残念な話ですね。 武装SSと陸軍の「大ドイツ師団」は、私個人はドイツ戦車を含めて大好きです。

最近やっと「E-100」も保有して、次はパンサー系列の充足を目指していますが、ソ連戦車も駆逐戦車やJS系列の 進化を進めています。 で、ゲームの中の日本戦車はどうなんだと言われても返答に困っちゃいますね。 装甲の薄さは泣けます。これはトラクターだろ、Wargaming 社で日本戦車を出してくれたのは日本人として非常に嬉しいですが、 これ他国の戦車と比較になりませんね。苦行というか精神修養というか、みんな歯を食いしばり涙を流しながら 日本戦車を走らせているようです。マゾですよね。 (かなりWargaming 本社は日本戦車に「ゲタ」をはかせており感謝です)
それでも74式戦車(STB-1)を目指して一応頑張っておりますよ。

ですが・・・・ 戦闘回数を比較すると、圧倒的にソ連戦車を使ってクレジットを稼いでいます。
先週からニュージーランド在住の若者から誘われて、深夜に遊んでおりインターネットの凄さを感じられずにはいられません。
ソ連軍の兵器も大好きでT-72、T-64、BTR-60、BMP、BRDMなどお気に入りなのです。 もう10年くらい前になりますがモンゴルへ二回行って、モンゴル陸軍のT-54、BTR-60、BRDM-2、BMP-1を操縦したり 機銃や機関砲、73mm滑空砲、果ては76.2mm対戦車砲まで射撃などの体験をしてきました。

零下20度の厳冬期に行きましたが、目の前に並んだソ連戦車や装甲車の実物は最高の感動物で、BTR-60に頬すりし この時の感動は一生忘れないでしょう。冷戦崩壊は歴史的必然としても、いろんな意味で良かったですね!
私が装甲車を嬉しそうに撫で回していたので、モンゴル戦車兵の教官が笑って見ていました! (この後に川底まで凍った河の石だらけの川原まで操縦して行き、休憩のときに装甲車の上から足を滑らせて背中から転落しました。 でも着膨れして何処も怪我はありません。モンゴル戦車兵が血相をかえて私を心配して頂きました。) 
昔から一番興味があったのは76.2mm対戦車砲で、マンガの中で照準器ごしにドイツ戦車の絵を描きたかったので、この 照準器を覗きたくてモンゴルへ行ったのです。

なんと一般的な砲兵の照準器そのもので、モンゴルから帰国してすぐに自衛隊の富士学校(自衛隊の諸兵科の 教育部隊)へ行き、砲兵の研究職の知り合いに聞きに行ったものです。 好奇心の塊で、その結果がロングセラーの私の作品「武器と爆薬」です。 明日早朝には広島の呉に行き「鉄のクジラ館」で海上自衛隊の潜水艦の中を取材してきます。

次の日には大阪で我がクラン 「PZSR」のオフ会に参加します。 このテキストを書いている現在、私の携帯にはWargaming Japanの担当から、原稿はまだかと催促が来ています。 「怖い怖い・・・」 申し分けない遅筆で、63歳なので大目に見て下さい。
仕事が立て込んでますが、このイラストを優先させてます。 この次に出版の仕事で「陸上戦艦ラーテ」、携帯アプリでカードゲームが一点、個人のお仕事でモノクロ2ページ、靖国神社で 二回目のボンボリのイラストの注文、あと自衛隊の募集ポスターなど。

20日からは「オメガ後編」で秋葉原テロの戦いと一日だけの日中戦争の書き下ろし。 お蔭様でこの歳でもメチャクチャ多忙で御座います。 関西行きの準備をしなきゃー・・・・・・・!

 


スクリーンショット

STB-1 スクリーンショット STB-1 スクリーンショット STB-1 スクリーンショット

 

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