My Favorite Tanks 第12回 TigerⅠ / 小林源文

Tiger I / 小林源文

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今人気のイラストレーター、漫画家の方に、World of Tanksに登場する車輌の中からお気に入りの一輌を選んで描いていただき、素敵なイラストと車輌解説でご紹介をする連載イラストコラム企画の第二弾 「My Favorite Tanks」 。

いよいよ最終回である第12回となりました。トリを飾るのはイラストコラムではお馴染み、ミリタリー作家の巨匠である小林源文先生に、第二次世界大戦を代表する無敵の重戦車として、世界各国の戦車ファンから愛されている人気車両「Tiger I」を描いていただきました!

小林源文先生が描く重厚感あふれる戦車のイラストをお楽しみください!

 


重戦車 Tiger I

小林源文先生のコメント

私がタイガー戦車というよりもヴィットマンを知ったのは、かなり昔で中西立太先生の門を叩く前の中学生の頃だったと思います。

川崎大師駅前の古本屋か、川崎駅前通りの近代書房で買った昭和30年代発行の軍事雑誌「丸」の黄色のザラ紙にあった武装SSの特集記事でパンツァーマイヤーその他の兵士や指揮官に、ヴィットマンの記事があったのです。

武装SSの権化タイガー戦車指揮官ミハイル・ヴィットマンとかいう表現で、彼の一台のタイガー戦車がノルマンディで英国戦車一個旅団を壊滅させたヴィレル・ボカージュの戦いが書かれていました。
小学生の頃に野球の裏番組で「コンバット」が始まり、他にも30分物でイタリー戦線の「最前線」や、WW2当時の両軍の兵士の証言を集めたドキュメンタリーなどがありました。

陸軍以外のSSって何だろうと10歳の頃から非常に疑問に思い、やっと入り口が見えたのです。10歳の頃に「アイヒマン逮捕!」の号外や電信柱のチラシを見て、また当時公開されたモノクロ映画「死の13階段」なども見て、ユダヤ人の絶滅収容所にナチスの戦争犯罪も知っていたが、当時の屈折したネクラ少年の私の好奇心は全開だったのですよ。

今では、これでもかとウンザリするほど軍事関係の資料は潤沢にありますが、当時は少なく、リーダイズダイジェスト誌の「一番長い日」の記事にセンスのいいアメリカンイラストレーション。ハヤカワからは「バルジの戦い」、朝日新聞からは「最後の戦い」など翻訳物が出版され始めてました。
映画「バルジの戦い」は高校生の頃に、今はなき銀座のロードショー専門の豪華な映画館テアトル東京で見て狂喜したものです。

ヴィットマンに興味を持ち、ヴィットマンの戦車撃破数を中途半端な記事を参考にして、地域と年度と月別にして長年記録してきました。
大日本絵画でティーゲル戦車大隊の記録やヴィットマンの正確な記録が出たので、私の記録と比較したら概ね正しい数値だったので、これでヴィットマンの漫画が安心して描けると思いました。それが「鋼鉄の死神」です。

正確な英国側の記録を綴ったのが大日本絵画「ヴィレル・ボカージュの戦い」で、ヴィットマンの戦車の番号は中隊長を表す“205”です。
ですが、ヴィレル・ボカージュの戦いの記録写真の中には、この“205”号車の写真が見当たりません。
ヴィレル・ボカージュの村の中で撃破されたタイガー戦車(私の中ではティーゲルではなくタイガー)は、主に第一中隊のタイガー戦車で戦車教導師団の VI 号戦車が一台。
戦闘後に村から牽引されたタイガー戦車は“231”号車で、この写真が最初に雑誌に載った当時はヴィットマンのタイガーと紹介されましたが、後には否定されました。ヴィットマンの戦車はどこにあるのでしょうか?

ヴィレル・ボカージュ戦闘後に照準手ヴォルがヴィットマンと一緒に撮影されていますが、ロシア戦線で騎士十字章を授賞後に戦功により、昇格してタイガー戦車長になってますが戦線には到着していません。記録や漫画にあるヴォルのセリフ「勝ったつもりでいる」は、ドイツ宣伝省のプロパガンダですね。「では、教育してやるか」はカッコイイですよね。

  1. ヴィットマンはヴィレル・ボカージュに居なかったのか?(これは却下ですね)
  2. ヴィットマンの“205”号車は、“231”号車より先に回収されたのか?
  3. 或いは、ヴィットマンはタイガー戦車が故障のために、“231”号車に乗り換えてヴィレル・ボカージュに居たのか?

・・・・と、まあ~イロイロと次から次へと、悪い頭の中にはフツフツと疑問が沸きあがるのです。

このタイガー戦車はソ連戦車のT-34やKV戦車に対抗するため、大急ぎで設計され1942年冬にはレニングラード戦線に登場しています。有名な第502重戦車大隊でオットー・カリウスは、陸軍のタイガー戦車長ではトップですが、武装SSのミハイル・ヴィットマンが戦車撃破数ではオットー・カリウスを越えています。
戦後オットー・カリウスは薬局「ティーガーアポトケ」を開業しており、幾年か前には池袋のミリタリーショップ「サムズミリタリア」が、ビクトリーショーというミリタリーイベントに呼ぶ企画がありましたが、ご高齢のために中止されたました。

WoTの殊勲賞でも以前はヴィットマン勲章がありましたが、何かの政治的な配慮で削除され、現在はありませんが残念な話ですよね。
復活を強く望むのは私だけではないと思います。

タイガー戦車の登場が1942年と書きましたが、ドイツ産業界が本気で戦争努力したら第二次大戦の開戦以前に、タイガー戦車が出てもおかしくないのではと思われますが如何でしょう?

このタイガー戦車にも初期型・中期型・後期型と、戦車ヲタクの世界(専門誌の世界かな)では分類され、転輪から装備品の違いで細かく分類されています。ヴィットマンのタイガーは最後期型で、砲塔回転基部の装甲リングなど調べていくと面白いものですが、細分化するこれって日本人の国民性のなせる業なんでしょうかね。

まだまだタイガー戦車には分からないことだらけで、1944年頃からの戦車や突撃砲の装備品で、砲塔天井面の近接防御兵器ですが、発射する弾頭は対人地雷のSマインだと言われています。
Sマインの底面には内筒発射用の黒色火薬が同封されていますが、底面を叩くと本当に点火するのかと不思議です。また、この弾頭の写真が出てきませんね。イスラエル軍のメルカバ戦車には、小型の迫撃砲が砲塔に装備されていますが、ドイツ軍戦車の近接防御兵器の流れなんでしょうね。

あと、1943年クルスク戦の装備で煙幕発射機ですね。この弾頭も形状や細部写真など見てません。
戦争という極限状況で使用する戦車って、絵を描くために調べるのが楽しいですが、私は戦車マニアでもミリタリーマニアでもありません。リアリズムという絵を描くために、歴史から兵器など細部を調べているだけなんですよ。

 


車両の解説

強力無比な56口径8.8cm砲を搭載し、最大で100mmの正面装甲を有するドイツのティーガーI 重戦車は、第二次世界大戦を代表する無敵の重戦車として、今でも戦車ファンの心を掴んで離さない。Pzkw.IV ausf.E:Sd.Kfz.181:6号戦車E型……様々な型式番号や名称が知られているのも人気の証拠だ。結果としてなら、ティーガーI重戦車を上回る「最強戦車」は少なからず開発されているし、勝利に対する貢献度を兵器の評価指標とするなら、ドイツ敗戦の事実を持って、ティーガーは資格を喪失する。それでも同戦車を最強と呼べるのは、WoTに例えるなら連合国がせいぜいTier 4か5の戦車で足踏みしていた1942年後半という時期に、部隊としてこのTier 7の重戦車を実戦投入できていたからだろう。ゲームなら見慣れた2つのTierの差も、実戦場となれば理不尽以外の何ものでもない。それがティーガーという戦車の正体だ。

しかし同時に、この重戦車はドイツが勝利から遠ざかりつつあることを証明する存在であった。「電撃戦」という言葉に象徴されるドイツ陸軍の勝利は、快速、軽装甲の戦車を集中投入して、機動戦により敵を翻弄することで達成されたものであった。しかし、フランス戦での局所的な苦戦や、「T-34ショック」に象徴される連合軍の優秀な戦車にドイツ軍は狼狽する。つまるところ、機動力を犠牲にした大口径砲、重装甲の戦車開発に力を入れただけでなく、それを重点装備として量産ラインに乗せてしまうことは、ドイツの戦略が変化した証拠でしかないのだ。

国情の違いや、時期による変化はあるが、ドイツ陸軍の組織においては、戦車を装備している部隊は限られている。兵員1万5000名ほどの、最小の戦略単位である師団にあって、基本的に戦車を主力兵器として運用できるのは装甲師団だけだ。1940年のフランス戦役で、ドイツ陸軍は135個師団を投入したが、うち装甲師団はわずか10個でしかなかったように、基本、戦車は専門の装備を保有し、特殊な訓練を受けた部隊でなければ使えなかった。

そんな装甲師団でも、ティーガー重戦車は運用できなかった。当時の主力であるIV号戦車はせいぜい20トン程度であり、57トンのティーガー重戦車はお荷物でしかない。そこでドイツ陸軍では、ティーガー開発と並行して、重戦車大隊という、ティーガー専門の独立部隊を編成をして、訓練をおこなった。重戦車大隊は定数45輌のティーガー重戦車とその支援装備からなり、軍の上位部隊に直接所属している。前線部隊の判断ではなく、戦略的な視点から、上級部隊の判断によって必要な場所に投入され、臨時に前線部隊の指揮下に入るのだ。しかし、重戦車大隊はてひとまとめで運用されたときに恐るべき戦闘力を発揮できるのだが、そうしたことは殆ど無く、多くの場合は中隊(14輌)か、場合によっては小隊(3輌)単位で前線にばら撒かれてしまった。

ちなみに砂塵を蹴立てて攻撃の矢面に立つような印象があるティーガーだが、実際にはそのような運用はほとんどされなかった。57トンもある重戦車の場合、重量制限で通過できない橋なども多く、軟弱地形に入れば足を取られて動けなくなってしまう。作戦行動の前には入念な地形調査や偵察が必要なのだ。つまり、未知の戦場に攻め入る攻勢時ではなく、地形を知り抜いた防御戦闘で真価を発揮する戦車であった。

しかし、それは大きな作戦レベルでの話だ。WoTのような戦術レベルに限定すれば、好機を積極的に見つけ出し、危険に身を投じて敵の主力を粉砕することで、戦場全体での勝利を呼び込むような戦い方こそふさわしい。Top Tierとなったマッチングならなおさら、「無敵の虎戦車」をイメージして戦って欲しい。

解説文:ウォーゲーミングジャパン ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx

 ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx の活動は Facebook ページでも配信中!

 


スクリーンショット

Tiger I  スクリーンショット Tiger I  スクリーンショット Tiger I  スクリーンショット

 

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