イラストで知る日本戦車 第04回 Type 95 Ha-Go / 小林源文

Type 95 Ha-Go
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日本の戦車にスポットを当てて、ご紹介をするイラストコラム 「イラストで知る日本戦車」 。第04回は小林源文先生に日本戦車の中では最多の生産数を誇り、97式中戦車チハと並んで主力戦車として数々の激戦を闘いぬいた「九五式軽戦車ハ号」のイラストを描いて頂きました!


九五式軽戦車ハ号

車両の解説

日本陸軍を満足させた八九式中戦車も、軍全体の機械化が進んでくると、最高25km/hという速度性能に不満が持たれるようになった。そこで八九式中戦車よりも大幅に軽量化された軽戦車の開発が1933年に始まり、翌年末に試作車が完成した。これが九五式軽戦車だ。開発順序に由来してハ号という名前でも知られている。

開発経緯ををたどれば「ミニ八九式」に位置づけられるが、実際、エンジンは乙型と共通の空冷直列式6気筒ディーゼルであり、全備重量で5トン以上軽くなった約7.5トンの車体は40km/h以上で走行可能で、運動性も大幅に向上した。車体後部右側の機関室に置かれたエンジンは車内で整備できた。

加えてもっとも大きな変化は戦車砲である。開発当初、九五式軽戦車は口径37mmの九四式三十七粍戦車砲を搭載していた。ちょうど九五式の車体開発終了の直前に開発された戦車砲であり、装備車両は満州の戦車第2連隊に引き渡されて、現地で耐寒耐熱などを含む運用試験が実施された。仰角20度、俯角マイナス15度で、砲塔を固定した状態で左右にも10度ずつ振ることもできた。九四式徹甲弾と同榴弾が使用可能であったが、対戦車戦闘が軽視されていたために初速が600m/sと遅く、貫通力も距離300mで4.5mmしかなかった。ちなみに同口径の九四式三十七粍砲はまったくの別物で、砲弾の互換性はない。

中国での戦いでは、こうした砲弾の貫通力不足が問題となり、解決策として九八式三十七粍戦車砲が開発された。これは威力重視の改造砲で、初速は700m/sまで強化された。太平洋の戦いで活躍したのは、主にこの砲を装着したタイプである。

九五式軽戦車は事実上の日本陸軍の主力軽戦車でありながらも、ソ連のBT快速戦車シリーズや、アメリカのM3スチュアート軽戦車に太刀打ちできなかった。しかし替りになる有力な軽戦車もなく、終戦まで前線で戦い抜いている。

解説文:ウォーゲーミングジャパン ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx

 ミリタリーアドバイザー 宮永忠将 / Phalanx の活動は Facebook ページでも配信中!

 

Type 95 Ha-Go

 

小林源文先生のコメント

チクショ~!!仕事が忙しくてモンハンもWoTも遊べない・・・・。

このイメージイラストはシンガポール攻略の要ブキテマ高地の戦闘後の95式軽戦車を描いてみました。背景には白旗で投降する英軍兵士に、頭上を旋回するのは陸軍航空隊の隼です。左に坂を下り始める95式軽戦車をアップで、右側に敬礼を送る後に“マレーの虎”と異名を誇る山下将軍。山下将軍を虎と名づけたのは日本の戦時報道班員で、本人は“虎”と呼ばれるのは嬉しくなかったようです。

1942年2月15日のシンガポール英軍防衛司令官との降伏交渉で、「イエスか、ノーか!」テーブルを叩く将軍の有名な姿が映像や戦争絵画が残されていますが、実際は通訳がまどろっこしくてテーブルを叩いたのが真相でした。
山下将軍の隣りのメガネの人物は「戦術の神様」と呼ばれた辻参謀で、この当時は頬ヒゲにしていたのが記録映像に残っています。
辻参謀はノモンハン戦当時は天神髭で、いかに自分をアピールして周囲に自分の存在感を示したがっていた人物です。その結果が陸路のポートモレスビー攻略作戦やガタルカナルでした。
防衛庁時代の「中の人」の辻参謀の見解は、作戦自体は正しく、それを実行できない補給体制の貧弱な陸軍に責任があったと分析しています。

辻正信は良く炭焼きの倅とよく書かれますが、当時の一般家庭の燃料は炭や薪で需要が高く決して貧乏ではなく裕福な家庭の出身だからこそ教育もされ、士官学校も陸軍大学も首席で卒業し出世街道を進んだ陸軍閥のエリートなのです。
地元では英雄らしく2000年には辻正信生誕100年祭が行われ、その後に指導するポーズの銅像まであります。

このシンガポール攻略が日本の大東亜戦争の絶好調の頂点で、そして四ヵ月後の6月5日のミッドウェー海戦、8月のガタルカナルと日本の悲惨な敗北の始まりとなっていきます。
このテーマであるシンガポール攻略作戦では、12月8日のコタバル上陸から二ヶ月間のマレー進撃の戦闘で、日本陸軍の弾薬が非常に不足しておりシンガポールの攻略も懸念されていました。

資源不足を解消するための戦争を始めた日本ですが、その資源と補給に最後まで悩まされたのが当時の日本でした。
日本は昔も今も資源はありません。レアメタルが日本近海にありますが、基本的にはエネルギー源となる石油など重要な資源はありません。
日本にあるのは日本人の粘り強い勤勉な資質だけです。大東亜戦争こと太平洋戦争で日本は全てを失いました。
でも、その灰の中から日本は再生し、先進国の仲間入りしたのが現在の日本です。


スクリーンショット

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