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超大国日本Part 4: Chi-Haの栄光と終焉

 

中華民国軍と交戦状態にあった1930年代、Type 89 I-Go/Chi-Ro(八九式中戦車イ号、もしくはチロ)とType 95 Ha-Go(九五式軽戦車ハ号)が、当時の日本の陸軍の主力戦車でした。両車両はしっかり戦闘に貢献し、数々の功績を収めました。

しかし、陸軍は両車両が歩兵の戦闘行動を補助する支援車両であったことから、軍事技術の開発が目覚しい将来の戦場における、両車両の能力の不足を懸念し始めていました。そのため、陸軍は新しく主力を担える戦車を模索し始めました。

開発史

当事の日本では2つの案が挙がっていました。1つは陸軍参謀本部が、これまでの軽戦車と同等の能力と生産性を引き継いだ中戦車のコンセプトを提唱したことに対し、陸軍技術本部は生産性を落としてでも、中戦車に相応しい飛躍的な能力の向上を提唱しました。

最終的に両者で独自の開発を行うことなり、それぞれの提案に応えた2種類の車両、陸軍参謀本部のChi-Ni(試作中戦車チニ)と陸軍技術本部のType 97 Chi-Ha(九七式中戦車チハ)が完成しました。そして後者のType 97 Chi-Ha が陸軍の次期主力戦車に正式採用され、終戦まで用いられることとなりました。

戦闘での活躍

採用直後のチハは、想定通りに任務を着実にこなす優秀な道具として活躍しました。陸軍はこの九七式中戦車を最初に、組織的な対戦車装備が整っていない満州と中国大陸に展開させました。素早い展開能力に優れた陸軍の特性も相まって、チハの性能は大成功をもって発揮していきました。

しかし、この驚くべき成功は裏目となりました。この大成功に満足した陸軍は、この車両を引き続き太平洋戦争の離島での戦闘にも次々と投入していきました。この陸軍の采配により、まだ国内で継続されていた新しい戦車の開発の進捗を遅くさせてしまいました。

Chi-Ha の終焉

戦争が進むにつれて、陸軍も次第に九七式中戦車が時代遅れであることを認識し始めました。M5 Stuart Light Tank(M5スチュアート軽戦車)に対抗すべく改修したShinhoto Chi-Ha(新砲塔チハ)をもってしても、アメリカ軍が配備したM4シャーマンの持つ能力に太刀打ちできなかったからです。

しかし、生産能力も低迷し、新型の試作戦車の試験運用もままならない終戦間際の日本において、陸軍ができることはありませんでした。その結果、チハは第二次世界大戦が終わる最後まで使用されることとなりました。

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