注意!
あなたが閲覧中のニュースアイテムは、古いウェブサイト形式です。一部のバージョンのブラウザにおいて表示に問題が生じる可能性があります。

閉じる

超大国日本 Part 2: 機甲部隊

   

19世紀中頃、日本は明治維新の時代を迎えました。そこからほんの数十年で、時代錯誤な島国は強大な軍隊と艦隊を備えた強力な国家へと変貌していきました。その間にも日本はアグレッシブな外交路線をとり続けてました。1885年の日清戦争に、そして1905年には日露戦争で勝利を収め、日の本の国による極東地域での優位性は揺るぎないものとなっていきました。

戦車が初めて1916年に投入されたとき、日本軍はその存在に細心の注意を向けることとなりました。星野大佐(当事)は、後に第一次大戦について次のように記しました。

「強力な火砲や、近代的な戦車に航空機を無くして、国家は国防を検討することもできなくなった」

そしてまもなく特別帝国参謀委員会が設立されました。その目的は、日本の機甲部隊の創設にありました。
1917-1927年の間、日本は積極的に海外の思索戦車を購入しテストを繰り返してきました。

1920年中頃からは日本でも独自の戦車の開発と量産が始めてきました。
当事、戦闘車両の開発を行っていた重要な拠点は大阪にありました。
多くの工廠や民間企業が同じ目的の為に一丸となりました。
この中で中心的役割は、後に戦車だけでなく自動車産業にも名を馳せた三菱が担うこととなりました。

 

日本初の戦車 – #1 Chi-I

日本初の戦車は #1 Chi-I(試製1号戦車)と名付けられました.この車両は1927年に官営の大阪造兵廠で開発されました。
この戦車には2つの砲塔が備わっており、57mmもしくは70mmの大砲と、2つの機関銃を装備しております。
しかし日本の技術者たちが設計したエンジンの出力が不足していたため、スピードと山岳地の走破能力において満足いく結果には至りませんでした。
それがこの車両が量産されなかった理由となりました。

一方、技術者たちは前述の開発計画と並行して、Type 87軽戦車(八七式中戦車)の開発に取りかかりました。
この車両の有している火力及び装甲が貧弱であったことから、軍当局はこの車両も量産を取り止めました。
しかしこの車両の開発にかけた時間は有益なものとなりました。日本の研究機関は、この車両をベースに、イギリスのVickers Mk Cを組み合わせました。
この結果、最初の量産戦車としてType 89(八九式中戦車)が完成しました。この新しい車両は1937年まで量産されました。

1930年ごろ、日本はRenault NC27軽戦車(ルノーNC型戦車)を購入しました。
NC27 Otsu(ルノー乙型)と名付けられた同車両は、1940年まで運用されました。日本版のNC27はフランスのそれと比べて、装甲と火力が強化されており、更にこの装甲車両は国産のエンジンを搭載していました。
殆どはガソリンエンジンでしたが、ディーゼルエンジンを搭載したバリエーションも記録に残っている模様です。

 

Type 95 “Ha-Go”

1935年の夏、三菱は今日の日本でも有名な軽戦車のプロトタイプを完成させました。
Type 95 “Ha-Go”(九五式軽戦車ハ号)です。重量は7.4t、トランスミッションは車両前方に設置している一方で、機関部は車体後方に設置しています。
車体装甲は平均して10mmから12mm、砲塔には乗組員1人が納まるスペースが設けられ、車体中心部より左側に寄って配置しています。
主砲には37mm砲と6.5mm機銃が砲塔の前後に装備しており、更に同種の機銃も車体に設置しております。

搭載されたディーゼルエンジンは120馬力を誇り、山道でも時速30kmでの走行が可能です。
そして、燃料を多く消費することから、エンジンは経済的な工夫が盛り込まれています。
この車両は、満州の険しい地形での戦車運用によるデータを元に、日本の技術者の原 乙未生氏が開発した優れたサスペンションを導入しています。
更にこの車両には小型の転輪が車体中央に配置されており、走行困難な山道や地形で効率的に接地圧を分散する役割を果たすように設計されています。
九五式軽戦車ハ号はそのシンプルで信頼性の高いデザインから多くの日本人に親しまれてきました。

その一方でこの戦車には近代的通信機器や同軸機銃、複数のアクセス可能なドア、そして交換可能な装甲コンポーネントのいずれも有していない様に、様々な弱点も抱えていました。

それでも、九五式軽戦車は、全車種の中で唯一1945年まで製造され続けました。

 

偵察と歩兵支援: Type 97 “Te-Ke”

1930年代後半、東京瓦斯(ガス)電気工業は、Type 97Teke軽戦車(九七式軽装甲車テケ)のプロトタイプを日本帝国軍向けに発表しました。
イギリスのMark VI tankette(マークVI豆戦車)をベースにしたこの車両の重量は4.7tで、主砲に37mm砲、もしくは7.7mm機銃を搭載することができます。
この軽量な車体と優れた最高速度(時速42km)により、この車両は偵察任務に最適です。
テケは1937年に配備され、斥候任務のほか、歩兵支援、輸送任務、 そして観測車両としても多様に活用されていきました。
この車両は主に中国やビルマ、フィリピンで活躍し、1944年にはクエゼリン環礁の守備隊でも運用されていました。

 

怒り狂う速さ Type 98 “Ke-Ni”

Type 98高速軽戦車‘Ke-Ni’(九八式軽戦車ケニ) は、1938年に日野自動車が開発した興味深いプロジェクトです。
強力なディーゼルエンジンの恩恵により最高速度は50kmを誇りつつも、サスペンションの設計を改善することで、移動中の縦揺れが軽減されているのが特徴となります。
九八式軽戦車には乗組員二人が搭乗できる新型の砲塔を配置することで、より効率的な戦闘を実現させました。砲塔には37mm砲を装備し、同軸の7.7mm機銃は主砲の右側に接地してあります。

更に九八式軽戦車には、放射状気筒エンジンとクリスティ・サスペンションを装備したType 98B(ケニB)と呼ばれる改良型があります。
九八式軽戦車は大量生産されることはなく、1942-1943年の間に20-100両(資料により情報が錯綜)しか生産されませんでした。

 

新しい中戦車

1936年、陸軍省は中戦車に要求される特徴を再検討しました。
そのため、以降の技術者は、戦車により大口径の主砲を搭載させ、より機動力に優れた車両の開発に尽力していきました。
この目標達成のために、陸軍技術本部は9.8tの ‘Chi-Ni’(試作中戦車チニ)のプロトタイプを、三菱の専門家たちは15tの'Chi-Ha'(チハ)のプロトタイプを提案しました。

 

“Chi-Ni” vs “Chi-Ha”

試作中戦車チニは135馬力のエンジンを搭載した、最高速度が30kmになる中戦車です。
車体後部には尻尾の様なデザインのパーツが装着されており、溝や塹壕、断崖を通過時に役立たせています。
装甲もまた、合理的な傾斜装甲を採用することで厚みを持たせています。この戦車の運用には3名の乗組員を必要としています。
当初、帝国陸軍はこの戦車を選定する予定にあったが、中国との戦闘を経て、これまでの安価で軽量なであることよりも、チハ戦車に見られるよりタフな装甲の必要性が見直されることとなりました。

Chi-Ha(九七式中戦車チハ)の試作車は1937年に完成し、中国での積極的な交戦が終わった1939年に本格的な量産がはじまりました。
最高時速は40km。武装に直径57mmの九七式戦車砲と7.7mmの機銃を2挺装備しています。
正面装甲板の厚さは25mmで、車体はリベット接合式の装甲板で構築されており、砲塔が車体中央より右側に設置されているのが特徴となります。
ノモンハン事件後の1940年、Shinhoto Chi-Ha(新砲塔チハ)と呼ばれる改造車両が登場しました。文字通りこの車両には新型砲塔が搭載されており、47mm48口径の長砲身の戦車砲を備えています。この戦車砲から発射される砲弾は500m先の目標に50mmまで貫通することができます。
九七式中戦車チハは中国やシンガポール、マレーシア、そしてガダルカナルを中心に配備されました。
1938年から1942年までに、1200両生産されました。

 

戦争兵器 – “Chi-Ha”

Chi-Ha(九七式中戦車チハ)の試作車は1937年に完成し、中国での積極的な交戦が終わった1939年に本格的な量産がはじまりました。
最高時速は40km。武装に直径57mmの九七式戦車砲と7.7mmの機銃を2挺装備しています。
正面装甲板の厚さは25mmで、車体はリベット接合式の装甲板で構築されており、砲塔が車体中央より右側に設置されているのが特徴となります。

ノモンハン事件後の1940年、Shinhoto Chi-Ha(新砲塔チハ)と呼ばれる改造車両が登場しました。文字通りこの車両には新型砲塔が搭載されており、47mm48口径の長砲身の戦車砲を備えています。この戦車砲から発射される砲弾は500m先の目標に50mmまで貫通することができます。

九七式中戦車チハは中国やシンガポール、マレーシア、そしてガダルカナルを中心に配備されました。
1938年から1942年までに、1200両生産されました。

 

日本の軍隊の成長

欧米圏と比較して、日本の戦車部隊の開発は比例して遅れましたが、第二次世界大戦の勃発に伴って、日本は20に及ぶ独自の開発計画を実施しました。このことから、この日の本の国が、いかに迅速でダイナミックに量産戦車を開発していったのかが見て取れます。

Part 3では、第二次大戦を駆け巡った日本の戦車と、日本の戦車部隊の運用と戦術について紹介します。

閉じる