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超軍事力の誕生: 日本

 

日の丸の下で、日本の歴史の知識を深めましょう!

間もなく、World of Tanksの戦場に日の丸を掲げた車両がやってきます。日本が彼らの母国です。
古来の時代より根付く魅力的な文明は、観光客やビジネスマン、冒険家のみならず、猛々しい征服者たちをも惹きつけてきました。
国内外での終わりなき戦いを経て、日本列島は高名で勇ましい武士の本拠地へと化していきました。
そんな彼らは、世代から世代へ誇りと共に軍事的な伝統を引き継いでいき、彼らが開発した車両のデザインにも強く反映させていきました。

この伝統的で時代錯誤な農業国が数十年の間に強力な陸軍、艦隊、航空部隊を保有する超大国へと変貌していったのか。
一連の歴史を元に、日本の機甲部隊の開発史、そしてそれらを作り上げてきた技術者についてご案内します。

19世紀半ば頃の日本は、技術レベルにおいてヨーロッパ諸国及びアメリカ合衆国に大きく遅れをとっておりました。
一方世界では、清国はかつての繁栄の勢いは衰え、列強国が各地を租借、占領してきた様に、時代は発展途上国を植民地に治める帝国主義の最中にありました。
そしてアメリカの艦隊が日本近海に姿をあらわしたことで、次に占領される土地がどこなのか、その答えは明確となりました。

しかし日本人は、このままみすみす植民地になるまで指をくわえて待つことを拒みました。
国内外の政治において洞察力に欠いた将軍(or幕府)を打倒すべく、日本人は社会的地位の壁を越えて団結したのです。
この革命により、統治権は再び皇族の手の元に戻り、国は近代化のプロセスを開始しました。大日本帝国の時代の始まりです。

明治維新の時代とされる1868年-1889年、この頃に近代日本の地盤が誕生しました。
憲法は制定に政府機関の分散化、軍や教育制度の改善など数々の改革が行われてきましたが、これらの大きな進展の中で最も重要な部分に、国家経済の成長が挙げられます。
ゼロから作られた重工業は、高品質な兵器開発の促進に繋がっていったからです。

欧米からの政治的、経済的な脅威が、日本を国家の独立に必要なアグレッシブで積極的な決定力で行動する後押しとなりました。
日清戦争(1894-1895)及び日露戦争(1904-1905)での勝利は日本の国力を増強させ、それは第一次大戦(1914-1918)で成功を修めた列強の軍隊へと変貌させていきました。

ご存知の通り、第一次大戦では戦車が初めて投入された戦争でありました。
勿論、このびっくり兵器の存在は、先進国同士の軍事的な技術競争に追いつこうと野心に燃える日本軍の強い関心を寄せることとなりました。
短期間に、日本は試験用途のためイギリスからMk.IV(マークIV戦車)とMk A Whippet(マークAホイペット中戦車)、フランスよりRenault FT-18(ルノーFT-18)とM21”Shenilliet”を購入しました。
改造したこれらのホイペット中戦車とルノー戦車が日本の戦車部隊の原点となりました。

1920年代半ば、日本帝国軍は絶大的な社会的人気の後押しにより支配的な地位を得てきました。
特徴的なナショナリズムと軍国主義を併せ持つ時代の始まりです。この状況は新兵器の開発にはうってつけで、戦車も例外ではありませんでした。

日本は中国やフランス領インドシナなどの周辺諸国へ攻勢に出る準備をはじめました。
果てしない平原から険しい山々に至るまでの広大な土地へ侵攻するにあたって、陸軍の機甲化は不可欠でした。
当事導入されていた車両は刷新されていたものの、Mk C “Vickers”(マークCヴィッカース)、”Vickers-6-ton”(ヴィッカース6トン戦車)、“Renault”NC-27(ルノーNC-27戦車)の輸入品の戦車では、これらの使用目的に応えるには明らかに力不足でした。
もっとも、ほとんどの軍事先進国は、新発明を共有する意思が全くありませんでした。そのため、独自の戦車を量産する必要性が明確となってきました。

1920-1930年の間に、日本は16種類の独自の戦車を開発し、その内の7種類は量産化が行われました。
以降、シリーズでこの開発された戦車についてご紹介したいと思います。

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