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9/13-9/20 フレールの戦い

 

フレールの戦いは、歴史上初めて戦車が使われた戦いでした。
戦いから97周年を迎え、英国の戦車に栄光を称えるべき、イベントを開催します!

フレールの戦い

イベント開始: 日本時間 2013年9月13日(金) 14:30 - 15:00

イベント終了: 日本時間 2013年9月20日(金) 14:30 - 15:00

上記時間の範囲内で多少前後する場合がございますので、ご注意ください。

下記の戦車 35% オフ:
  • Tier II - V の全イギリス車両
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  • Tier VI - VII の全イギリス車両
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歴史紹介: フレールの戦い

第一次世界大戦における各地の戦いは、人類が経験したもっとも血塗られた戦いの連続となった。原因の大半は当時の軍隊が採用した戦略に起因する。幾列も重ねられた縦深のある塹壕線には無数の兵士がひしめき合い、突撃する兵士は無人の野を走らねばならず、そんな兵士を敵は塹壕の中から濃密な十字砲火でなぎ倒していたのだ。

こんな戦場で兵士が勇敢で居続けられるはずもない。結果として戦線は膠着し、兵士は数週間も、場合によっては数ヶ月も同じ塹壕の中でじっとしていることも珍しくなかったのである。

ちょうどこんな時期のイギリスに目を向けよう。当時イギリス軍需省に設けられた「陸上戦艦委員会」では秘密兵器開発の最終決定が下されようとしていた(ちなみに委員会には後に首相となるウィンストン・チャーチルがいた)。新兵器の開発計画はごく少数の関係者によって進められていたが、やがて秘密はもれ、「戦車:TANK」という新兵器の名が広がっていった。

最初の試作戦車は「マークI」と呼ばれていた。この「マークI」は半年にも満たないごく短期間の試験を終えただけで、早速実践に投入された。デビューの舞台はどこか?それはソンムの戦い――第一次世界大戦における連合軍の空前絶後の大攻勢に決まった。

この決定に「マークI」の開発関係者たちは落胆した。新兵器「マークI」はまだたくさんの問題を抱えていた。速度はきわめて遅いうえに、移動中の車内にいる戦車兵には、攻撃目標を見つけ出す余裕はほとんど無かった。エンジンも信頼性が低く、何の前触れも無く停止するのも珍しくない。装甲も無敵ではないので、慎重に狙いを付けられてしまえば、カノン砲で容易に破壊されてしまう。「戦車」にはまだ戦場に出られる準備ができてなかったのだ。

しかし、技術陣の反対を押し切って、「マークI」は最前線へと送られた。ソンム攻勢はすでに始まっていたので、戦車部隊はフレール、コルスレットという町の近郊で支援作戦に投入されることになったのだ。1916年9月11日、49両の戦車――イギリス軍の手持ち戦車のすべて――が来るべき激戦に備え、攻撃開始地点までのろのろと前進した。町を取り囲むドイツ軍の塹壕線に突破口を穿つ。それが戦車の任務であった。塹壕線は起伏のある丘陵地帯に巧みに構築され、中にはドイツ兵がひしめいていた。

ところが49両の戦車のうち、攻撃開始地点に無事にたどり着けたのは22両だけであった。さらに戦闘開始までに7両が脱落したので、攻撃に参加できた戦車は全部で15両だけであった。

それでも数日間にわたる戦いで、「マークI」は強力な武器であることを自ら証明した。わずか15両ではあったが、敵の砲弾が炸裂する戦場の中で、分厚い装甲を活かして味方兵士の盾となる戦車の姿は、両軍の兵士を鼓舞し、あるいは恐れさせたのだ。

作戦目標の達成には失敗したが、戦場に現れた戦車の姿を見たイギリス軍将官は、この新兵器がやがて戦争の将来像を変えてしまうだろうと確信した。やがて、その確信は世界へと広がっていくことになる。

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